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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

正義の剣で切らないで

在り方
 
 
社会一般からみた"正義"は誰も救いはしない。
誰かを救い得るのは、個人の持つ"正しさ"だけだ。
 
(注意:善悪論ではありません。ここで言う正義とは、理念や思想の軸や基盤を意味します。)
 
私には嫌いなものがあります。
それは社会一般からみた"正義"で切りつけてくる人間だ。
 
相手のバックには社会があり、こちらのバックには個人しかない。まず第一に勝ち目が薄いということ。
社会からみた正しさはどうしょうもないくらいの正論で、それ自体は間違いではないから、反論がしにくい。
 
そして、たいていの場合は"正論"を知っている上でそうでない行動を取っていることが多いということ。
そんなことは知ってるよ、というやつ。
 
そして、正義の剣を振り回すやつは総じて大したことのない人間であることが多い。(一部除く)
誰かの為にその剣を振るうのではなく、自分が正しい側で居たいから正論を振りかざすんです。
これは、UNGOの監督の相川昇さんも言ってました。人間は自分を正しい側に置きたいと。詳しくはググって下さい。

 

UN?GO 因果論 (ハヤカワ文庫JA)

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こんな風に社会の正義を振り回す人は"個人"が希薄なんです。
 
よくあるじゃないですか。
親の言う通りに、先生の言う通りに、勉強していたら、やりたいことが分からなくなっていた。
タノシイッテナニー?
 
それでもって、社会の正義は脆く崩れ去りやすいものです。戦争が正しさを破壊していったように、社会の状況によって信じた正義は崩れ去る。
 
個人ではなく、社会に存在の基盤を置くとゆらゆらと中空を漂って生きているんだかそうで無いんだか分からなくなります。
そのことに気がつかないうちはいいですが、気がつくのが遅いとどうしようもなくなります。
流れ星が人々の願いの重さに耐えきれないで燃え尽きるように、ちっぽけな人間もまた周りからの願いに応え続けられるほど強くはない。
 
そんな人の生きる道は堕ちぬくことでしか見つからないだろう。
安吾ニーチェも言ってました。
今の正しさから外れて1人でただただ堕ちていく。
その先で掴み取ったものが貴方だけの武士道であり、天皇であり、正義であると私は思っています。

 

堕落論 (280円文庫)

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他の記事でも書きましたが、あなたはあなたでしかなく、私は私でしかありません。
全てを捨てて落ちたつもりでも身体に染み付いたものが引っ付いていたりするものです。
それを寄せて集めたら貴方ができて、それは個性になったりするでしょう。
 
ここまでを纏めると、
社会の正義を振り回す人は個人の存在基盤を社会に委ねている。だから、それが崩れた時に自分を失う。
そんな人は正義の剣を投げ捨てて、裸になっても着ているものを見つけて下さい。
つまり、自分探しになるのかな?(もうちょっといい言葉を見つけたら記事にします。)をしてね、ということです。
 
これは正義の剣を振る人に向けたものです。
 
でも、この記事を見ている人は切られる側の人だと思います。
自分の曖昧な正しさを傲慢な正義で叩きっ切られて憤慨するような人だと思います。
あ、私です。
 
◆正義の剣で切り捨てられ
社会の正義(≒レール)から外れるってロックですよね。
でも、レールを外すのと外されるのとでは大きな違いがあります。
言い換えるなら、トロッコから降りるのか、転げ落ちるのか。
要は、自分の意思で堕ちるのか、落とされるのかという違いです。
 
前者の場合は、意図的に社会の正義から外れることを望みます。
自分の表現したい世界を表すためには今のレールでは不可能だと考えたのでしょう。
 
後者の場合は、正義の剣が重過ぎて使えなかったからクソと言ってる人です。その上、正義の剣に未練たらたらで他の武器を探さない人です。
中途半端にしがみついて、中途半端に使うものだから、奥のダンジョン(大抵の人は受験、就活)なんかで挫折したりする。
 
前者の場合は、他人に迷惑をかけない範囲で存分にこの世界を楽しめば良い。彼自身も楽しいだろうし、それをみるこちらも楽しい。
 
後者の場合は、使いこなせなかった事実をまずは認識することだ。等身大の自分を見つめるということです。それから、一つ一つ見つめ直して見ることです。
斜に構えて切り捨ててきたものを、無意識に集めていたものを、大事なものからそうでないものまで見つめ直す。
そうすると、本当に大切なものが見えてきます。教養だと言って「たのちい、たのちい」といって無理していたことのなんと虚しいことか。
 
あと、加えて言うなら別の正義に縋るのもやめた方が良いかと。
2chをジャスティスとしたまとめ民の友人は面倒です。
 
 
◆私の正義
さてと、ここまで長々と読んでくれた方ありがとうございます。
最後に私の正義について話そうと思います。
 
 
上述したのが私の正義です。
 
私の"嫌い"を叩きっ切るために使ったのが私の正義です。
 
 
結局のところ、"正義"なんて何かを否定するために使うものです。
正しいから与えるんじゃなくて、間違えないために与えるのが正義です。
 
誰も間違えないなら、正義じゃなくて、常識になります。
 
 
だから、自分の正義を持ったところで、誰かとぶつかることは避けられません。
 
正義の剣は自分の心の中にあれば良い。
正しさを求めるのではなく、何を信じたいのか、そして信じるのか、そこが大切だと思います。
 
また、正義は押し付けるものではなく、認め合うものだとも考えます。
俺はこう考えたけど、あいつの考えもいいな、ってな具合です。
「◯◯はこうで無くては、いけない!」なんていうのは、禁則事項です。
「なんで凛とかよちんの間に入ってくるのー(おこ)」ってなっても、次の日には「真姫ちゃ〜ん」ってなるぐらいの余裕が大切です。
 
それでも、どうしても理解できない相手に出会ったら
 
"別の世界からきたパラレルワールドの住人だと思えばいいんです。"
ランダムダンジョン カナちゃん
 
正義どころか、常識や言語すら違うんだからしょーがない。
 
 
読み終わった貴方に聞きたい。
正義の剣は必要ですか?
 
 
追記:若きウェルテルの悩みより抜粋

「あなた方のような人たちは」と私は叫んだ、「何か事があるとすぐに、それは馬鹿だ、これは悧巧だ、それはいい、これはわるい、といわないと気がすまない。それはいったいどういう事なのです?それをいうために、あなた方はその行為にはどんな事情がひそんでいたかを、しらべたことがありますか?なぜおこったか、おこらざるをえなかったか、その原因を立証することができますか?もしできれば、そんな早まった判断はきっとしないに相違いない」