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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

誰にも負けない無敵な私

 

誰からの優しさも、愛も、承認すらなかったとしても、平気でいられる人間になりたかった。

 

私の世界は私だけで完結していて、他の誰かの支えがなくとも生きていられる。

独りでいることは辛くない、独りでいることを楽しめる、独りでいるのが当たり前。

だから、誰かを羨むことはなく、自分を蔑むこともない。

 

そんな存在にはなれません。

だから私は大丈夫じゃないです。一人は大丈夫じゃなかった。

 

 

◆ひとりぼっちは寂しいもんな

そんなことは解っているけれどもその事実を直視することはできない。

もし、それを認めてしまえば誤魔化し続けた私は壊れてしまうから。

 

けれどそれも仕方のないこと。

ひとりの辛さを誤魔化すためには、嘘で覆ってしまうのが容易い。

「一人の方が楽しい」「群れると人間強度が下がる」「寂しいやつほど群れを欲する」

そんな言葉で本心を覆い尽くして、自分すらも騙してしまう。

 

そうしてしまわないといけないくらいには「一人は辛いもの」なんでしょう。

 

◆強さを求める

一人の寂しさを認識すると、ヒトは強さを求めるようになります。

強くなることで、自分の存在を確かなものにしようとします。

アニメや漫画でいうと、ラスボスにいいように使われ、切り捨てられ、主人公の味方をするような人が「力」を求めることで、現実でいうと、それは勉強とかになるのでしょうか。

 

こうして強さを求める理由は何なのでしょうか。

それは、「優秀だから一人になっている」と思い込むためです。

 

メインの集団から孤立すると、他人から承認を得る機会を失います。

学生の場合だと、学校がそれにあたり、学校で孤立すると承認を得ることが出来ません。この承認は両親では無理で、他人(≒社会)からの承認が必要なのです。

 

承認されている実感を失うと、自信が逓減していく。

誰からも認められていないという感覚は足場が無くなる怖さがあります。

 

集団に属することで承認を得られなかった人は、承認を求めて「強さ」に手を伸ばします。

学生なら「○○君って、勉強できるねー^^」ってやつ。

 

ここで、二つのパターンに分かれる。

A:誰かから認められさらに努力して認められようとする人。

B:挫折を味わい努力をやめ、一部の他人より優れていることで自身の「優秀性」を信じる人。

 

◆A:誰かから認められさらに努力して認められようとする人

Aのパターンはエヴァのアスカやシンジが当てはまる。

小さいころはみなこの傾向がある。

誰かから褒められて、次の期待にも応えようとする。

だから、「こんなこともできるんだぜっ!」って色々とアピールをしてくる。

可愛いものだ。

 

けれど、こどもの頃のように純粋に努力し続けることは難しい。

いつのまにか「頑張ったら褒めて貰える」が、「頑張らないと褒めて貰えない」になり、「優秀でなければ認められない」に変わっていく。

 

エヴァに乗れない私に価値なんてない

 

自身の存在基盤を外部に委ねてしまっている。生きる理由を他人に作ってもらっている。

やりたいからではなく、やらないと認められないから。やらないならば帰れ。

 

こんな風に、認めてもらうために行動していると、自分のために行動するとか考えられなくなり、期待に応えられないことが不安になる。

期待に応えられなくなった私は誰からも認められることはなくなり、世界から弾き出される。

そんな恐怖と闘いながら毎日を生きる。結果が出せないと分かっていても身体を動かさずにはいられない。期待に応えようとしないことは、認められることをあきらめることで、それはその世界にいる意味を失うことだから。

 

大抵の人間は走り続けることはできない。

現実の話に置き換えると、勉強を頑張り続けるようなもの。

勉強が出来ることは、頭の良さに繋がり、優秀さに繋がっていく。そしてそれは、学校生活における絶対的な「強さ」である。

そうした錯覚から勉強に打ち込むものの年を重ねるごとに期待に応えるのは難しくなる。

 

 

それに気が付くと、Bのパターンに堕ちていく。

 

◆B:挫折を味わい努力をやめ、一部の他人より優れていることで自身の「優秀性」を信じる人

 

勝ち続けることの難しさに気が付くと、努力をやめて下を見るようになる。まだ大丈夫だ、と。

独りでいることの劣等感を紛らわせるように、あいつよりは優秀だと考えるようになるのだ。

 

こうなると、「誰かより優れる」よりも「他人に劣らない」ことを志向するようになる。

1位になるために頑張るのではなく、ビリにならないように頑張るようになる。

そのため、そこそこの結果がでるところまでやると努力をやめるようになる。

いつしか、頑張れない自分を横目に斜に構え、捻くれていく。

 

もし、このまま進んでしまうと、失敗しないラインでダラダラと低空飛行し続け、知らぬ間に高度を落とし、気が付くとどうしようもないところに立っている。

少し前までは上を見上げて落ち込んでいたはずなのに、いつの間にか自分の立っているところをみて落ち込むようになった。もう大丈夫じゃない。

 

◆そして、ネットへ・・・

所属するコミュニティで承認を得られず、ネットに逃げ込むと、自分と似たような意見を言っている人を見かける。そうしたヒトを追いかけると、まるで自分が承認されているかのように感じることがある。他人が与えられた承認を自分のものだと錯覚して、中途半端に自尊心を守り、フラフラと転げ落ちていく。

 

◆強い自分になって、それから、それからっ・・・

一人で大丈夫になろうと“強さ”を求めて破綻した。

嘲弄されることも意地悪されることも大勢から噂の対象になることも、全部全部気にしないような強い自分になりたかった。

 

けど、強い自分になってからはどうしたかったんだろうか。

何事にも無関心で、無傷でいられるようになったその先で何をしたかったんだろうか。

 

 

◆最初の願いは単純なこと

 

「誰かと一緒にいたい」

 

ただ、それだけだったのだ。誰かと比べた優劣がどうのこうのなんてどうでもよかった。

 

世間一般でいう「勝ち組」だけが幸せではない。

そうであっても幸せでない人もいる。

 

隣のあいつを蹴落とさなくても幸せになる道はあったはずなんだ。

弱くても幸せになれたはずなんだ。

 

◆綺麗ごとの世界の裏側に

綺麗事は事実であり、世界を救う可能性があるけれど、堕ちた個人は救えない。

いまさら、事実確認をしてみたところで大きな変化は見込めない。というよりも、事実に目を背けながら生きてきたから他人から突き付けられてもそれを受け入れられない。綺麗ごとでボッチが救えてたまるか。

 

というわけで、ちょっと見方を変える考え方について以下に書く。

 

①常に最強の人間なんていない。

いつでも優しくて強くてカッコいいと思える人でも舞台袖では泣いていたりする。常に強く在り続けられる人間なんていないモノだ。だから、「アイツはいつもカッコいい」なんてのは間違いで、「アイツは人前だとカッコいい」のかもしれない。自分だけが弱さを持っているなんてのは間違いなんです。みんな弱いけれどそれをうまく隠しているだけ。もしくは、それを見ようとしていないだけ。

また、その逆に弱く見える人がその実は強い人だったってこともある。自分の舞台で輝ければいーんです。

②ピュアな精神で付き合う友達

思っているよりも少ないです。

大学生の多くは「打算的に」友人を作っていたりします。試験や課題を容易にするための友人なんてのも少なくありません。少し前だと、「人脈」なんて言葉に惹かれた気味の悪い集団がいたものです。

ですから、すべての人間が純粋な気持ちで時間を共にしてくれるのだと思い込んで傷つくのはやめた方が良いです。アニメや漫画みたいな関係以外にも打算的な関係もあることを忘れてはいけない。

 

みんな知っているけれど言わないだけ。

なら、そんなことで絶望してやる必要もない。

 

 

マイナス地点からの考え方を書いてみました。

ポジティブなプラス地点から考えると、「勇気」とか「やる気」とかそういう言葉に執着することになりそうなのでやめる。間違いではないけれどネガティバーには辛いものがある。

 

 

最終的には理解者がいる、って自分が思えればどうとでもなるんじゃないかと思います。言い換えると、自分は一人じゃない、って感覚。それを手に入れない限り、どうあっても思考の迷路から抜け出せない様に思えます。

まぁ、それが大変なんですけどね。頑張るしかないっす。

 

<参考書籍>

人類は衰退しました5巻

 

人類は衰退しました 5 (ガガガ文庫)

人類は衰退しました 5 (ガガガ文庫)

 

 

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~

 

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

 

 

空が灰色だから

 

空が灰色だから 1 (少年チャンピオン・コミックス)

空が灰色だから 1 (少年チャンピオン・コミックス)

 

 

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