考えることをアウトソースする
僕が考えたって仕方がないじゃないか。
それ以上のことがここには書いてあるんだから。
最近は凄く便利になりましたよね。
学業の課題を自分が聞くまでもなく知恵袋で聞かれていたりするご時世です。
ゲームの攻略法が分からなければ、ネットで調べるか、動画を見れば分かります。
アニメの感想が出てこなくても、ググれば誰かが書いていてくれます。
ニュースが分からなくても、誰かがそれらしいことを書いています。
分からないことは、何一つない。そうiphoneならね。
この携帯端末があるだけで分かることってすごく増えました。
その分、これまで自分でやっていた色んな機能が外部に委託され始めています。
今日はそんなことについて考えてみようと思います。
◆記憶の外部化
「えっ、何か要件があるならメールで送ってくれよ?」
単純な記憶面に関しては色んな部分で外部化されています。
・電話番号
・やるべきこと
・読みたい本のリスト
・パスワード(これは少ないかもしれません)
こんな風に、自分のメモ帳や、それに類するものを見てみるとこれまで覚えていたことが外部化されていることが分かります。その結果として、記憶力が減退してきています。
これ自体は必ずしも悪いことではないと思っています。
昔から人間は「道具」に自身の持っていた技術や知識を「委託」することを行ってきました。技術や知識が無くてはできなかったことが、「道具」を使うことによって、容易に継承することができるようになったのです。
それに、外部化することによって忘れるリスクが軽減されることや、覚えておくことに対するストレスなんてものが軽減されるのではないかと予想できます。
問題なのは、人間の想起・再認能力も低下しているということです。
思い出すのが苦手になったと考えると良いと思います。身近な例だと、数年前に書いたような記事が思い出せなかったり、どんなレポートを書いたのか思い出せないといったものになるのでしょうか。
これの度合いが過ぎると、思い出を思い出として認識できなくなってしまうのではないだろうか。心に刻まれるべき記憶までもが外部化され、記録として処理される。
それを防ぐには、心に刻み付けるだけでなく、当時の場所やモノと結びつけるとよいのではないでしょうか。お土産なんかはそういった想起のトリガーと結びつき、かつての情景を現出させる。
カタチにすることで大切にできることもあるのかなぁ、と。
◆考えることの外部化
「17、17うるさいけど、結局何なのこれ?ブリックウィンケル?ググるか」
極端な話をいうと、アニメやゲームをやり終わったらまとめサイトやブログを漁って、他人の想いや考えを自分の空虚な穴に埋め込むような人が増えているということです。
友人に一人くらいはいるんじゃないでしょうか。
話をしていると「まとめサイトに書いてあったこと」しか言わない人です。
あれどうだった?とか、あれ面白いの?と聞くと、大抵まとめに書いてあることしか言わないんですよね。
しまいには、アレに書いてあることを実体験にしはじめる。凄いぜ。
本当は、友達が居ないので上の話は嘘です。
そんな人がいるならそれを分かってしまう自分は何者なのかってことになります。
おお、怖い怖い。
冗談は置いておくとしても
そういう事が容易にできる世の中になってきたわけです。
読書感想文も読まなくても書くことのできる世の中になったわけです。
自分であの作品について想いを馳せるよりも簡単に誰かのものを使えるわけです。
先述したように、ニュースについて考えなくても誰かが考えを書いていてくれるし、作品を楽しまなくても、その気分を疑似追想できる。
へへっ、随分と楽な世の中になったものだ。
◆外部化は悪か
「効率化」という一側面に限って言うならばいいのではないでしょうか。
企業だって自社にない機能やノウハウを求めて、アウトソースしたり、合弁会社を立ち上げたりします。
アウトソースは効率面から考えると効果を発揮してくれます。
ですから、キチンと使うことができるのならば「外部化」は悪ではない。
問題になるとすれば外部化に「依存」してしまった場合でしょう。
先の企業の例を出すならば、自社にない機能を他社に依存しきっていると、本来自社で取り組んだ際に得られる“必要なノウハウ“が未来永劫手に入らないままになる。自社が活動するためには他社に依存し続けなければいけなくなります。
ですから、大抵の企業は足りないものを「外部化」で補完しつつ、相手企業からフィードバックを求める。最終的には自社機能に組み込む、といったやり方をするわけです。
そうすることで、自社機能を拡大し組織として成長するわけです。
人間の話に置き換えると
自分で考えることをしないままでいると、考える力は身につかない。それどころか、人間の場合は使わない機能は低下していくため、考えることができなくなります。
ですから、アウトソースの使い方は、他人の考え方ややり方、思考法をトレースして、自分の考えを作り上げていくという形になるのでしょうか。
自分の考えを鍛え上げなければ物事を鵜呑みにして生きるか、すべてを疑いながら生きていくしかなくなります。
もちろん、必要な所以外は身構えず利用していくべきです。
何から何まで自分一人でやろうとすると限界が出てきますし、どこかで綻びがでてきます。他人を利用することは最高の時間活用術なんです。ぼっちがいうんだから間違いない。
自身の優位性や機能のコアになる部分を外部委託していると、どこかに依存するかすべてから逃避するしかなくなります。それは忘れないでほしい。
◆メモ
「娯楽の効率化」ってなんだろうな。
アウトソース→外部化→効率化、と考えていて思ったことです。
楽しむべき娯楽ですら効率化するのはなんでだろうか、と。
ゲームが分かりやすいと思います。攻略サイトを見ながら、何の壁にぶつかることも、自分で考えることもなくゲームをクリアする。それの何が楽しいのだろうか。一時期はそれをやりました。10日でRPGを5本、とは言いませんが、夏休みを使って積んでいたものを解消したことがあります。その時は、達成感があったけれど今はどんなゲームをやったのかすら覚えていません。
ゲーム以外でも、先述したアニメなどのコンテンツに関しても「作品に想いを巡らせる楽しさ」を誰かに委託して、それで何があるのだろうか。
「娯楽」を効率化した先には何があるのだろうか。
夏休みに使い潰したゲームは、私の身体のどこかに生きているのだろうか。
達成感以外の何かがあるのだろうか。
部屋の隅、積まれたゲームソフト、やらなくちゃ意味が無いのかな。