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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

ドラえもん「お金が要らない世界」―ユートピア

 

ユートピアの先にはディストピアが待っている。
永遠なんてどこにもない


今日のドラえもんは「お金が要らない世界」についてであった。

世界の概要はこんな感じ。
お金なんてものが無ければお金で苦労することは無いんだ。
もしもボックス
その結果、何かを手に入れるにはお金を貰わなくてはいけない世界となった。(価値逆転)

つまり、お金をたくさん持っている家は貧乏だという世界である。

細部については作品をご参照ください。

今日はこれを使って、ユートピアを考える。


◆お金が要らない世界の問題
①支払い能力が無くても商品を手に入れることが出来る。
②お金をたくさん持っている事のデメリット
③お金持ちの限度がある(0円)

①支払い能力が無くても商品を手に入れることが出来る。
普通の世界ならば、お金を持っていなければ商品を手にすることはできない。
しかし、この世界では何も持っていない人間でも商品を手にすることが出来るわけである。簡単な話にすると、子供が親のクレジットカードを与えられているようなものだ。それもパスワードコミコミで。そうすると、子供は自由に商品を買うことが出来ることになる。親が支払うことが出来るかどうかもわからないままに。
のび太の様子をみると、なにかしらの判断基準が組み込まれているようでもなかった。つまり、完全に自由に借金を背負わせられる状況にあるわけである。

支払う能力の有無が取引にかかわらないため、無限に商品を購入することが出来るわけだ。
これはシステム的な欠陥である。

 

②お金をたくさん持っていることのデメリットが不明瞭
最後の方で、のび太家がお金を持ち過ぎてもうおしまいだ、となっていたが、どうしておしまいなのかが見えてこない。仕組みとしては借金に近いものがあるがそのすべてを返済する義務があるようにも見えてこなかった。どうなんだろうか。一年に一度ゼロにしなくてはいけないようなものだろうか。それか、ある一定量を超えてしまうと、支払い不可能となって捕まってしまうのだろうか。その限度は夫の給料なんかで決められるのだろうか。
そうすると、明確な帳簿が必要になってくる。どれだけお金を溜め込んでいるのかを知らなくてはならないからだ。それにスリの件を入れるとどうしてもそこが不鮮明にならざるを得ない。
お金という実物での取引をしているかぎり、どれだけ溜め込んでいるのかも分からず、何を持って支払い不可とするのかが分からなくなる。
つまるところ、お金を持ち過ぎるデメリットが分からないわけである。また、他人がそれを知る方法が無いわけである。

 

③お金持ちの限度がある。(0円)
普通の世界ならばお金は持てば持つほどいいものである。
対して、この世界ではお金は無ければないほどいいものである。
そうすると、お金持ちの限度は「0円」になる。それを超えるものは現物で何かを購入するなどをして確保しなくてはならなくなる。お金の流動性が増えるよ!たえちゃん!(誰かのところにたまるから流れないのかもしれない。)
そうするとゼロ円になるように働くようになるのではないかと不安になる。使う金額を超過して手に入れても無駄になるので、一定水準を超えた労働をしなくなってしまうのではないだろうか。
つまり、お金を逆に機能させると労働意欲の減退になりかねない。

 

のび太ユートピア
お金が無くても生きていける仕組みは作ることが出来ないのだろうか。
僕等のユートピアはどこにあるのだろうか。

 

◆新しいシステムの提案
①ポイント制
電子取引を基本にした、ポイント制にしてみては同だろうか。
何かを購入するとポイントが減り、労働をするとポイントが増える。
常にプラスでなければ社会的な補償を受けることが出来ず、マイナスの一定ラインを超えるとマイナス超過の社会不適合者として強制労働施設へ連行される。
この一定ラインとは、個人のこれまでの成果や行動、そして現在の給与から算定されるラインである。また、家庭を持つ場合にはこのラインが引き上げられ、ポイントのシェアが可能となる。

こうすると、普通のお金と変わらなくなる。意味が無い。
違うのはお金が無くなると強制労働になる点ぐらいだろうか。
それも今度は社会問題として取り扱われることになるんだろう。強制労働で能力を身に付けられず、外に出てもポイントを増やせずにまた強制労働への無限ループ。加えて、稼げないだけの人間が強制労働させられることにたいする反感も高まる。

結局のところ、お金が無い人間が社会で過ごすことのできるシステムはないのだろうか。

②人類電子化
いっそのこと電子化してしまえ、と思うが無理だろうな。お金が無い人間、社会的に価値を与えられない人間はパケット制限されるか削除されるだけだろう。多様性をうんぬんかんぬんと言っても、必要量だけ作ればいいのだ。何も今いるやつを使う必要もない。というか、電子化した場合に個人の価値はどうなるのだろうか。思考も感性も能力もすべて自由に設定できるなら差が無くなる。そうすると、世界は100人の村で良くなってしまう。多様性は自由に操作でき、人類の深化も容易になる。
必要なのはハードを守らせることだけか。とすると、外側にも人間を配置する必要がある。ハードを守る仕事が人類の仕事のメインになるのだろうか。深化させる事の出来る人にリソースを割くべきだもの。野崎まどの「know」ではランク分けによってそんなことをしていたように思う。結局無能は肉体労働orデリート。

似たようなものだと、パソコンが個人に最適な仕事を算出してそれに従事させるという感じだろうか。これで仕事に困ることは無くなるが、自由はなくなる。将来が確定されることで、それ以外の行動に制限がかかるわけである。そうすると、「放課後のカリスマ」で出てきたマリのように「モーツァルトに生まれればよかったな……」なんて想いを抱えながらシステムに縛られた人生を送る人が続出する。これはユートピアに成りえない。

最悪、思想や思考能力を機械によって制限させてしまえばいい。そうすれば不幸だなんだとかんがえることすらなくなる。これも極端すぎてアレだが。

 

③価値基準に社会貢献を導入
基本システムはポイント制と同じ。
仕事でポイントを稼ぐ他に、社会貢献活動でポイントを稼ぐことを可能にするわけだ。
つまり、仕事をする能力がなくとも、ポイントを稼げるので、「生きるために働く」観点が無くなるわけだ。
こうすれば、無能な人間でも社会貢献することが出来るし、無能な人間を雇うことが社会貢献と見なされてみんなハッピープロジェクト。
問題になるのは、何を「社会貢献」と見なすかである。無意識の善意が他人を追い詰めるのは、「世界が灰色だから」でも描かれている。この規定が1つの問題となるのだ。
政府が決めてしまえばいいのかもしれないが、文化を始めとした多くの問題を抱えるため一概に決めてしまうことはできないだろう。
もし、「他人に優しくすること」までもが価値に組み込まれてしまえば、善意が押し売りされるようになり、優しい息苦しさの中で不意打ちを食らわせるしかなくなる。

 

④全てをロボットに委託

人間の仕事を全てロボットに肩代わりさせてしまえばいい。そうすれば誰一人として働かなくて済む世界が出来上がるだろう。いつかはロボットが人間を超える時が来るだろう。

ロボットが人間のすべての仕事を代替できるようになったら、何でもって人は価値を獲得することが出来るのだろうか。社会や集団への貢献度だろうか。そうすると、1つ前と同様の優しさが世界を包むことになる。

価値を失った人類は進化も安全の保障もロボットに委託して、電子世界の箱庭で過去の人類を追想するのだろうか。人類が未来を切り開いていた時代へ逃げるのだろうか。

 

のび太と僕のユートピア
今のところ、私の中にはユートピアがどこにも無いようだ。

どんなものにしても何かしらの欺瞞の中で生きる必要が出てくる。

思考実験が足りないのか、データが足りないのか。

 

早いところ神様のパズルのように、シミュレートできるようにならないだろうか。
SFを始めに現存するユートピアが迎える先を検証することが出来れば、いつかはユートピアに辿りつけるのではないだろうか。

 

労働からの解放が幸福か、それとも労働こそが幸福なのか。
ユートピアの先にはディストピアしかないのだろうか。

 

完全なるユートピアを求めて彷徨います。
それでは。