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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

連想と要約と

文章

 

世の中には「連想」と「要約」の二つの書き方がある。


◆連想
私が良く使っているのが物事を連想させながら書くやり方である。
出発点だけがあり、答えは旅の途上で見つけていくというやり方だ。

このやり方のいいところは自分でも気が付かなかった風景に出逢えるということである。

ある程度の時間を決めて、その間に自身が思うことを延々と書き続ける(打鍵し続ける)ことによって、自分の中の仮初めの想いが剥がれ落ちていき、純度の高い想いが下に行くほど積み上げられていく。
普段文章を書くときは、どうしても他人の目線だったり、どうなるかを考えてしまうものであるが、連想法でいやがおうにも書き続けていると、自分が体裁として考えている物事はあっさりと剥がれ落ちていく。
そうして、自分に施された嘘や見栄がはがれていくと、自分がひた隠しにしていた思いに気が付くことが出来るようになる。
そういった純度の高いものを身体から抽出するときにはこういったやり方が良いと思っている。

 

他にも、自身の中に醸成されているものを確認するときにも使えるのである。
それは、自分で理解していると思っていることを文章として表現していくうちに分かってくるものだ。
例えば、一定時間書き続けることを繰り返すと、時間当たりに書くことのできる量が見えてくるようになる。そうすると、時間当たりの分量に満たないテーマは理解度が低いといったことが見えてくる訳だ。
また、打っているときのキーの音が違うということもある。
自分が理解している、内側に醸成されているものがある時には、キーはタカタカと鳴るのに対して、内側に何もない時にはキーがタカ………タカ……なんて風になる。

中身が無いからキーが進まないわけです。

興味がある内容にはたくさんの文字が割り当てられていたり、理解度の低い項目に関しては文字数が少なくなっていたりするため、自分の理解度や吸収度を理解するうえで良い働きをしてくれます。

この連想法が上手くいったときは、自分の内側にある疑問や作品から感じた一番大きなものがぬるりと出てくるためすごく気持ちがいい。

逆に、上手くいかなかったときはどこが引っ掛かっているのかが見えたりするので詰めていく時に便利だ。

メリットについて書くとしたらこんな感じになるのだろうか。
①自身の内側に醸成されたモノ(隠された感情、理解度、吸収度等)が現れる
②自分の調子が分かる
③理解度が低い場合の目途が経つ
④自分の内側が整理される

何か問題があるとするならば、他人には理解しにくい文章となっていることだ。
それもそのはずで、自分の中身を整理する時に他人は居ないため、他人が読んで分かるような文章にするために「加工」を施さなくてはならないのだ。
自分だけに向けられた文章は自分を気持ちよくしてくれるが、自分が気持ちいいだけでは伝えることはできない。伝えるためには上手くならないといけない。

それに今の自分が理解できても、未来の自分が理解できるとは限らない。
そんなこともあるので、連想法はそのままでは他人にみせられる文章ではないのである。

 

<蛇足>

連想法の方が人を選ぶが伝わるのかもしれないと思うこともある。

連想法は自分に特化された文章であるだけあって、その純度は高いモノとなっている。
そのため、その感情に添うことが出来たのならそこから得られる何かは通常よりも大きなものになるだろう。
ただ、その分伝わる人は少なくなるし、誤読も増えることとなるのが難点だ。

 

◆要約
もう1つの書き方が要約法だ。
私がこの方法を使うときは大抵真面目な文章を考えているときだ。
連想法のように散文的な文章では不適切な時に使っている。

 

要約法としているが、私としてはプロットを作ってから、どういう風に言葉を繋げていくかを考えてから書くこと、と考えている。
そのため、一般的な要約法とは異なるのかもしれないので、注意されたい。

 

要約法をするときには、骨格を抜き出す。
私の記事を参照するならば、私がいつも使っている「◆」がその骨格になる。
どんな風にこの記事を運ぶかを「◆」で表すわけである。
今回の場合は、二つの書き方を説明した後に、どういう風に書くのが良いのかを考えていくというところだ。
この「◆」で表した骨格に肉づけをしていくようにして文章を構成していく。

 

この要約法のメリットはこんな感じだろう。
①書いている最中に迷子にならない
②書きやすいところから書き始められる
③全体が見えているため不安が無い
④論理構成を意識したものとなるため、伝達力が増す

 

要約法を上手く使っていくことが出来れば「伝わる魅せ方」ができるようになるのだ。
漫画を見てみると分かりやすいかもしれない。
どこに一番を持ってくるのか、流れの中でどこに見せ場を作るのか、などなど。
構成を意識して作ることは、流れを操るということであり、それは相手の心的世界を操るということになる。
つまり、作者が意図したように感情の波を作れるようになるというわけだ。

 

これが出来るようになると伝えるための書き方が上手く出来るようになる。
メッセージ性が強まるわけだ。

何かを伝えたいと思っている人には欠かすことの出来ないスキルなのではないだろうか。

 

◆二者択一
それでは「連想法」と「要約法」のどちらがいいのだろうか。
私は、その両者を使い分けていかなくてはならない、と考えている。

 

要約法だけでも、連想法だけでも文章は成り立たないからだ。

 

連想法で「自分が気持ちいい文章」を書いただけでは、誰かに届く文章は書くことが出来ず、要約法で「骨のある文章」を書いただけでは、誰かに響く文章を書くことは出来ない。

 

連想法は内側に向きすぎてしまうし、要約法は外側に向きすぎてしまう。
これは極端な話だが、片方だけでは偏り過ぎてしまうんだ。
(センスで無意識に内に補っている人や、繰り返しの研鑽の結果でそこに至った人も間違いなくいる)

おそらく、この二つの書き方は組み合わせて使っていかなくてはならないものだ。

 

私が多用しているのが、連想法からの要約法である。

連想法にて、自分の内側に在るものを引っ張り出してきてから

要約法で伝わるようにまとめ上げていく。

そうすると自分だけに向けられた文章が少しは外側にも向いた仕様になる。

 

また、逆の使い方をすることもあります。
要約法にて、書きたいことを定めてから連想法で引っ張り出す。
そうするとカタチだけの文章ではなく、そこに意味を注ぎ込むことが出来る。

 

◆書けないセカイを書く方法

ここまでのところは、私が使っている文章の書き方である。
なんてことはない普通の書き方である。問題なのは、この先にある文章だ。

 

この書き方だけでは、現在認識しているところしか書いていくことが出来ない。
掴み切れていないセカイについて書くことが出来ないのである。

 

要は、最近感じている作品に対する無力感をどうにかしたいのである。

 

現状の対策としては「編集」の視点を組み込むことを考えている。

 

編集とは、世界に入り込みやすくするための手段である。

構造を知ることで、世界そのものに近づいていく。
集めた情報を編集することで、そこに道筋を見出す。

編集の視点を無意識に組み込むことで捉えられない世界を捉えていく。

 

他にも色々試してみるつもりです。

成果が見え次第、また書きたいと思います。

 

それでは、立体的な世界の先で会いましょう。

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