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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

刺激を刺激で塗りつぶす

思考メモ 在り方

 

刺激は刺激で塗りつぶしてしまえます。
より強い刺激ならば簡単に忘れられる。

別にお薬の話がしたいわけではありません。
お薬とは違って普通の学生ですらやっているし、多分社会人もやっているんじゃないだろうか。

刺激を刺激で塗りつぶす。


◆無料の「刺激」
今の時代は「刺激」を簡単に手に入れられる世の中です。
スマホなんかがそのいい例ですよね。
スマホのアプリを開けばすぐに「流石です!」とか褒めて貰えるもの。
簡単に褒めて貰えるし、簡単に達成感を得られる世の中になっているわけです。

ゲームも似た感じに進化していますよね。
「君の実力を見せてもらう」なんて風にいきなり戦闘をさせられることは減りました。
大抵の場合はステップを踏んで最初の内は簡単で、それからどんどんと深みにはめていくわけです。
ソシャゲーは大体そんな感じか。

他には、まとめサイトとかなんだとかで「暇」ってやつを潰すのが容易になった。
刺激を求めるためにはスマホに電源を入れればいい。
自分で何をするでもなし。ただ、それだけで刺激が得られるのである。

 

◆刺激は何を塗りつぶしたか
端的に言うと「暇」を塗りつぶしたのだと思っています。
忙しくない人であって忙しい人と同様に時間を潰せてしまうのがスマホの魅力です。
昔はぼっちの昼飯は大変悲惨なものでしたが、今の時代だとご飯の片手にスマホを持っていれば「刺激」を得られる。
ぼっちであることとか、他人のこととか、そういったことを誤魔化してしまえるぐらいにはスマホが「暇」を潰してしまえる。

つまるところ、こういった考えてしまう「時間」を塗りつぶしてしまっているわけ。

何もない時間がなくなっているわけ。
切り離された時間がなくなっているわけ。

 

◆切り離された時間
こういった切り離された時間は何に使われるかというと、人によって異なるでしょうな。
1つ共通していることがあるとすれば、今の自分が考えるべきことについて考えることになるのだと思います。
だからこそ、切り離された時間が多い人ほど一般人からすれば「どうでもいいこと」を考えてしまうわけです。
ぼっちは色んなことを考えてしまう。
「友情」とか「愛」とか「友達」とかそういうの。
普通の人が知らず知らずの内に流してしまえる諸問題を一々考えてしまう。
当人からすれば答えを出さないといけないけれど、周囲は何を無駄な時間を過ごしているのかと思うわけ。
ぼっちは辛いぜ。

これは、前回少し触れた「読者」っていうのともかかわる。
切り離された時間があるからこそ、アレはなんだったのだろうか、アイツはどんな思いで言葉を紡いだのだろう。なんて考えてしまう。
時間が埋め尽くされている人は悩んでいる部分以外を明朗に話して終わる。

考える時間が減るっていう事なんだな。
切り離された時間が無いと、自分が打ち立てた「問い」をそのままにし続けてしまうわけだ。

 

◆野ざらしにされた「問い」
「刺激」っていうやつは、「切り離された時間」を塗りつぶしてしまう。
そしてそれは、「問い」について考える時間を失ってしまうということだ。

逆にいうと、「問い」は刺激で塗りつぶしてしまえるということだ。
シンジが現実逃避をするときに、音楽を聴いていたように思うが、アレもそういう事なんじゃないかと思う。
何もないと考えてしまうから、何かしらの刺激でそれを誤魔化そうとするわけ。

テスト勉強をせずに部屋の掃除をするのも同じ感じです。
テスト勉強をしたという「達成感」を、掃除をしたという「達成感」で塗りつぶしてしまう。
この場合は、疑似的に誤魔化すのでちょっと違うか。

こうして野ざらしにされた「問い」というのは腐っていき、その上には新しい刺激が載せられていく。
俗にいう「時間が癒してくれる」というやつ。
実際は少し先の未来で牙をむいて襲ってくるので、全く癒えていないどころか、強化されて突き刺さるので余計に辛いです。

 

 

◆自分を誤魔化しやすい世界

新しい刺激が溢れ、自分というものを誤魔化しやすくなりました。

そしてもっというと私たちは鈍くなったのかもしれない。

「本を○○冊読む」なんてことをしていた時期がありましたが、あの時は内側から巻き起こる刺激を新しい書籍で塗りつぶして先に進んでいたように思います。

刺激を積み重ねていると達成感とか実感とかが得られるから楽しいのだけれど、内側にある刺激を無視し続けているとどこかで行き詰るのよね。

 

時間を埋めやすくなったからこそ、切り離された時間を大切にする必要があるんじゃないかと思うわけです。
くだらないことを考えてしまう時間があってもよいのでは、と。

私の場合、それがこうして文章を書く時間が当てはまります。

普通にしていたら考えなくていいことも考えていられるこの時間が結構好きです。

「価値」はないけれど「意味」はあるんじゃないかな。

 

というわけで、そろそろ現実に戻ります。

それでは、やるべきことを終えたその先で。