読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

ミサイルとプランクトン 1巻 ―美しいものを美しいままに

漫画

 

僕等の希望
私達の希望
 俺 の希望

 

 

田中ロミオ原作ということで手に取った作品。
何かがありそうだけれど、現状ではそれほど強く惹かれるものではない。
一人一人の時間が動き始めたらまた何かが変わるのだろうか。


◆どうして時間を進めなくてはいけないか

このままでいいんだずっとこのままで

―ミサイルとプランクトン

もしも、物理法則から外れて時間という枠組みからも外れてしまったとしたら
その世界で生きる私には「無限の時間」が与えられることになる。
無限の時間で無限に生きることが出来るならば、それは「理想の世界」ではないだろうか。

物理的に曖昧な存在となった私は何もしなくても生きていくことが出来る。
意識と念力の存在でしかない私ならば無限に生きていくことが出来る。

「停滞」という選択は悪なのだろうか。
動き出してしまえば、自身を飲み込む流れによって傷を負うことになる。
動き出してしまえば、今の関係性すら壊れてしまうかもしれない。

いいじゃないか別に。
「停滞した世界」で「幸福」を感じられるのならば。
止まっているから幸は翔太の隣にいられる。
止まっているから千秋は彼女に会いに行くことが出来る

どうして「停止した世界」を壊さなくてはいけないのか。
動き出した世界の先に幸福なんてないのなら、止まったままでいいじゃないか。

止まった世界に「価値」なんてないのかもしれないけれど、「意味」はあるんじゃないだろうか。


◆人類の希望
人が生きるためには「希望」が必要である。
「希望」があるからこそ、人は前に進んでいくことが出来る。

この世の中に「絶望」しかないのだとしたら、人はとうの昔に終わってしまっていただろう。

自身の進む未来が「絶望」であると知ったら人は終わってしまう。

マミさんのあの台詞が分かりやすいだろう
「魔女になるなら、みんな死ぬしかないじゃない!!」
「希望」のために生きた魔法少女の結末は、「絶望」を振りまく魔女である。
そのことをしったマミさんは自決することを望んだ。

他には、擁立された勇者が絶対に魔王を倒せないとしたら、民衆は生き続けることはできないのではないだろうか。「勇者」という希望があるから、未来のために生きていくことが出来る。足を止めずに進むことが出来る。

この作品では勇者の代わりに「ミサイル」が人類の希望として機能する。

これがこの作品の面白いところ。
従来の作品だと「人間の希望は人間が引き受ける」ものである。
ドラクエならば勇者が、まどまぎならばまどかがといったように、他人の希望は一人の人間に集約されて圧し掛かるものであった。

それが、この作品では「ミサイル」という人間以外のモノに籠められている。
この場合、ミサイルが失敗に終わった際に悪意が少なからず自身に向かう。
人間が引き受けていたならば、「勇者の努力が足りないから」「勇者が悪いから」といったように、自身とは切り離された場所に悪意を向けることになる。
つまるところ、「希望」とはそれが失敗に終わった際に向かう「悪意の受け皿」としての機能を持っているのが通常である。
「ミサイル」では、希望に自身が組み入れられているため悪意が自身にも向かってしまうのだ。

だから、希望は希望のままでいい。
勇者は魔王に負けてはいけない。勇者は常に人類の希望でなくてはならない。
たとえ魔王を倒さなくても、勇者がいれば人は生きていける。

勇者が倒れたら新しい勇者を擁立すればいい。
希望の代わりは新しい希望で補う。
けれど、何度と潰えて消える希望を前に人は「期待」することをやめる。

だから、希望は希望のままでいいんだ。

◆悪意の矛先は人
先ほどは「モノ」であるならば、悪意の矛先は自身に向かうといった。

なぜならば、原因が「人」であるならば、どうにかなると考えるのが人間だからだ。
そして、悪意の矛先を向けても許されるものを求めるのが人間だからだ。

ライトジーン社が疑われたのは、この危機を人災だと思えば、なんらかの解決策を見つけられるだろう、ということからだ。つまり、自然には逆らえないが、人間がやることならなんとかなりそうだ、という希望的な見方なのだ。

ライトジーンの遺産

この場合に当て嵌めるなら、
「ミサイルが失敗したのは人間のせいである。だから、もっと上手くミサイルを作ることが出来れば絶望を打ち砕くことが出来るはずだ。決して、ミサイルなんかでは打ち砕けないなんてことはない」
といったところだろうか。

それも数を重ねれば無力感を増大させて、人を終わらせてしまうだろう。
もし、そうなってしまえばミサイルは「希望」としての機能を果たさなくなる。
だから、コレは完成させない。

勇者という希望があるならば、人はそれにしがみつくことができる。
もし、勇者が居なくなってしまえば、希望の向く先は「国家」になるだろう。
勇者というシステムはそういった意味合いもあるのだろう。

この作品の場合は、ミサイルという希望があるからこそ、恩田美登里という希望が人々の悪意に晒されずに済んでいる。
ミサイルにはそういう意図もあるのだろう。

人は悪意によって潰れてしまう
モノは悪意によって潰れることはない

だから、モノに希望を代替させているのではないだろうか。

◆美しいものを美しいままに

美しいものを美しいままで終わらせたいということは一般的な心情の一つのようだ。
堕落論

 

止まった世界を止まったままでいてほしいというのは、こういった面もあるのではないだろうか。

これから先に待ち受けているのが「堕ちる」ことであるならば、停滞したままのほうが良いのではないか。
そういう思いが本書からは沸き起こってくる。

安吾の言葉を借りると「地獄へ堕ちる不安」というものが本作には見え隠れしている。

世界は停止しているし、彼らもまた停止している。
もし、このまま永遠の時間を過ごすのだとしたら彼らは美しいまま一生を終えることになるのだろう。

しかし、彼らは動き始めた。

人類は絶望を打ち砕くために「ミサイル」という希望を開発する。
翔太は「ミサイル」という虚構の希望を直視するようになる。
幸は恩田との出会いを通じて翔太の関係性が変化する。

停滞していれば考えずに済むことを考え始めた。
変わらない関係性を変化し始めた。

美しいままであって欲しいと願いながらも、堕ちたその果てを見たいとも思う。

 

 

ここから先が楽しみだ。
動き始めた彼らが、世界がどうなっていくのか楽しみである。
できることならば、千秋にも動き出して欲しい。

 

 

それでは、動き始めた世界の先で。