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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

それでも僕らは廻りつづける

 

俺のドリルは天を突く


◆繰り返し続ける
少し前に疑問に思ったのが、「どうして私は同じ結論を繰り返すのか」ということである。
これまでの投稿記事にしても、自身の日記にしても繰り返される言葉がある。

「カタチと意味」
「向き合う」
「傷」
「意志」
「意味と価値」

これらの言葉はカタチを変えて、意味をズラしながら、繰り返し、繰り返し綴られているモノである。それはもう飽きるほどに繰り返されている言葉である。

そうしたものを目にしたときに思ったのは
「私は何も変わっていないのだ」
ということであった。

どれだけ書物を読もうとも、どれだけの物語に触れようとも、私が至る場所が変わらないのだとしたら、それらのコンテンツに価値はなく、意味すらない。

色々なコンテンツを消費して、同じ結論しか導き出せないのだとしたら、それはなんてつまらない回路なのだろうか。すべての物事に同じ答えしか見いだせないのだとしたら、それはなんて不毛で、つまらない回路なのだろうか。

そのことに気が付いてから思い出されたのは次の言葉である。

実を言うとね、これって呪いなの。
飽きることなく繰り返された言葉は、現実をそちら寄りに歪めてしまえる。ほんと、少女らしい一途な呪い。愚かで、どこか哀しいわ
空の境界

 

空の境界(上) (講談社文庫)

空の境界(上) (講談社文庫)

 

 

どうしようもないくらいに自分は変わらないものである。
それを知っているから、「変わりたい」という願いを込めて繰り返し繰り返し言葉を唱え続ける。

確かに、そうなのかもしれない、と思う。
私自身には「意志」も「向き合う」ことも欠落している。「少傷論」に書いたように、そうしたことを避けて生きてきたからだ。持ち得ないからこそ、それに近づこうともがき苦しむ。

そうすると、私が吐き出すコンテンツは「私の願望」であることになる。
私が持ち得ないものを私が持っているかのように思うための装置がブログということになる。

もし、それが本当なのだとしたら随分と気持ちが悪い場所だな。
ブログというものは。

偽りの自身を構築し、それに成り替わったかのように錯覚するための場がブログだとするならば、それはなんて哀しい事なのだろうか。

しかし、それが本当だとすると私のネットに感じていたものと合致するような気がしてくる。

私はこれまでネットとは「第二の現実」として捉えてきた。
現実であって、現実ではない場所。現実から切り離された場所。そんな世界だった。
だからこそ、顔本やmixiとかが現れて、現実の延長線上にネットが捉えられた辺りから息苦しくなった。現実が第二の現実、第二の私を殺そうとしているからである。

多分、そうなんだろうな。
現実とは違う現実に生きたいという願望がネットに現出したのだろう。
そういう人は多分、少なくない。ネットと現実を切り離したい人間は少なくない。
そうだから、現実から切り離された「転生小説」が流行ったりするんだ。
僕等の多くは「誰か」に成りたがっている。「私」ではない「誰か」に。
現実の私に絶望してしまっているんだろうな。

これまでの話をまとめると

●繰り返すのは変わっていないから
●変わりたいから繰り返す
●変われない自分へのレクイエム

多分、私個人で考えていくとこうしたマイナス方面に掘り進んで「不変」とか「死」とかに繋がっていくんだろうなと思います。

と、いうわけで他の人にも目を向けてみました。
同じテーマを延々と繰り返している人間がこのネットには溢れすぎている。
それにそういった物語だってこの世の中には在るはずだ。

◆円環ではなく螺旋

彼らの行動は「円環」ではなくて「螺旋」であった。

 

 

NHKにようこそ!(8)

NHKにようこそ!(8)

 

 

NHKにようこそ!からそれが感じられた。
佐藤君は光が見えたと思ったらすぐ先が崖だったり壁だったりして、迷路のように彷徨い続けていた。それこそ同じことを繰り返しているようで、無駄なんじゃないかって思うくらいには繰り返していたのだと思う。
だからこそ、最後の方では「気がついたら変わっていた」ように思う。

ネットに目を向けても少しずつ「何か」を積み重ねながら進んでいるような人は多い、と思う。エッセンスだけを絞り出してみると同じ結論かもしれないが、内側では螺旋を描き、違う所へ進みだしているような気がした。


客観的に見たらただの「円環」でしかないが、その実は「螺旋」だった。

繰り返し、繰り返し失敗して、自分というものに絶望したりしながらも、繰り返し続けてゆく。繰り返す度にちょっとずつ何かを拾い集めながら小さな「螺旋」を描いていって、最後には天を貫いて、私の知らないところへ飛び立っていった。

 

◆終わりに
過程や手続きをなおざりにして結果を求める私が、この長い階段の一歩目で勝手に絶望したというだけの話。

目に見える結果が欲しい私は「円環」を好まない。
だからこそ、変わらないという事実に理由を見出そうとしてああした結論が湧き出てきたのだろう。

 

自分でもわからないほどの小さな違いはいつ頃螺旋を描くのだろうか。
それまで「違い」を積み重ねていられるだろうか。

 

まぁ、螺旋を描けたとしてもそれが天を突けるかどうかはまた別問題で、地面を掘り進んでいたりするから厄介なのは置いておこうか。

 

でも、意志がある内は書き続けていきたいものだ。

それではまた