huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

ユーザー罵倒 田中ロミオ

 

これは、田中ロミオのコラムの一節である。
多くのオタクの心の闇を引きずり出して、中空へと投げ捨てる作品だ。
だからこそ、私はこれを隣に置いておきたいと思う。

◆美少女がうんぬん
昨日、距離が遠いと理解ができない、なんて話をしたと思う。美少女がうんぬんという話のアレだ。本来はこちらに繋がるはずだったのだが、何の間違いかいおりんに繋がった。不思議だな。

それで、あの話は本来「距離が遠いと現実味が無い」という意味に繋がる予定であった。自己啓発とかの話を現実の自分に嵌め込もうとしても上手くいかないのは、そうした距離があるからで、その間にある過程とか手続きをなおざりにしているからなのである。

身近な人間からのアドバイスの方がなんだかんだ有益だったりするのは、距離が近い故に現実に適応させやすいからでもある。(近い故に見失いがちでもある)

だから、オタクという現実から距離が遠い人種に適切な書籍は自己啓発書のようなものではなく、ラノベとかアニメとかそういうのになるのだろうか。

流石にこれは暴論か。けれど、こうした自分を近くに感じられる書籍というのが手元にあるのは良い事ではないかと思う。

◆王様は書籍を傍らに
人間、偉くなればなるほど諌めてくれる人間が必要となるものである。
従う立場の人間は上の人間が諌めるか、制度や金などで制限されているが、王様になれば諌めてくれる上の人間は居なくなり、ある程度の自由が保障される。
だからこそ、昔の人はよく聞くような偉い書籍を傍らにおいて自身の行動を振り返り、諌めたりしたそうである。

今の時代でもそうしたことを行っている人たちは居る。
以前読んだ「帝王学」なる書籍を読んだときに、この本を傍らに置こうと思ったりもした。

それから何年か経って気が付いたのは、現実の書籍は私にとっては「距離が遠すぎる」ということであった。それは、偉い書籍に諌められるどころか、偉い書籍を傍らに置くことで偉くなったような気分がしているのが分かったからである。

諌めるどころか調子に乗せる書籍を置いていては、本末転倒である。
書籍が悪いのではない。
私が悪かったのだ。

それから出会ったのが、この「ユーザー罵倒」である。
田中ロミオの小説は面白く、懐に隠していたいものも多いが、これは身体に染み込ませなければならないと感じた。

それくらいには、卑屈な人間に刺さるコラムである。

◆ユーザー罵倒
「長きにわたる修行の階段、その一段目を踏んだ時点で早くも専門家ぶって自慢をはじめる。ききかじりの知識ばかりをネット上で振りかざしてきた知ったかぶりの習慣が、まさにそうした浅薄なふるまいに表れているぞ。」
―ユーザー罵倒

 これはしてしまいがちな話である。
 SFを読み始めのころに「趣味はSF」といって痛い目をみた経験が思い起こされる。当時の私はたった一人の作家を読み終えただけで、SFというジャンルを理解した人間であるかのように振る舞っていた。
 最近だと未央ちゃんとかだろうか。アイドルとしての一歩目を踏み出したばかりだというのに、自身が美嘉姉と同じアイドルであると錯覚して行動してしまっていた。うかれちゃってますな、私!

 アニメとかでもそういう気分になることがあるらしい。
 最近だとまとめとかで専門チックな話が展開されることがあるが、それを目にした、耳にしただけでその分野については他人よりも極めて詳しいような気分になったりする。まとめばかり見ていた知人がそんな感じだった。

 私も知らないうちに振りかざしている気がしてならない。

「見た目ばかりをきにすることは恥知らずかも知れん。だがその恥をこそかかねばならなかったのだよ。」
―ユーザー罵倒

以前書いた「少傷論」に近いものがある。
「その恥をこそかかねばならなかったのだよ」、とあるように「恥を回避」してきた人間には痛いくらいに突き刺さる言葉だ。

「現在進行形で流行しているものを終わったことにすればもうそれらを精神性において凌駕したつもりか。」
―ユーザー罵倒

 本文ではツンデレとかセカイ系が終わったなどとしていると書いてあった。
 最近のに置き換えれば「パズドラは終わった」とか「艦コレは終わった」とかになるのだろうか。中身を知らないままに終わらせて、超越した気分になれるのは実にいいものだな!

 私の話に置き換えるならば、「それはリア充のコンテンツだ」という感覚だろうか。枠組みを与えてしまって、遠ざけてしまっている。
リア充のモノだから私には関係がない」、といった感じだな。そうすることで自身を正当化しようとしているのだろうな。


「世の中には自分が良いと思うものを素直に褒める者たちがいる
 彼らこそ正常なのだよ。誰かが褒められていることが気にくわぬと感じる時点で、自分が異常者なのだと知るべきだったな。」
―ユーザー罵倒

良いと思うものを素直に褒める事ができない人間は少なくない。
私もその中の一人である。

私の場合は、好きなものや気になっているものほど批判的にみるようにしている。
悪いところを探して、それを予防線として持っておくことで、何かの時の言い訳とするわけである。

「作画が悪かったから」
「男を描くのが上手じゃないから」
「声優が初心者だったから」

そんな風に、予防線を張ることでショックを減らそうとするわけである。
傷つきやすい、傷つきたくない人間はこういう手段をとってしまう。

そうしたものを超えた作品についてはべた褒めできるからいいのだけれど、まだ信じても大丈夫かわからないものは遠ざけてしまっている。

少しずつ素直に表現できるようになりたいものだ。

◆終わりに
本文ではこのほかに、「青春時代」「人間性」にダメージを与える文章が書かれており、読者の一部は深い傷を負う恐れがあります。もし、傷を負うことがなく、「何いってだこいつ」となったならば、素敵な人生を送ってきた証拠ではないかと思います。

弱い人間には刺さるんじゃないかと、思います。

それではまた