huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

艦隊コレクション―彼女の死が無価値になる。

 

人が死ぬときは誰かに忘れ去られたときだ、そういったのはだれだったか。

 

◆肉体的な死≠精神的な死
昔、哀川潤が「人間は死んでも終わらない」みたいなことを言っていた。
例え個人が死んだとしてもその影響は残り続けるだとか、なんだとか。
また、別の作品でも「○○は俺たちの中に居る……」とかいうセリフがあったりする

何がいいたいのかというと、基本的には【肉体的な死≠精神的な死】という構図がこ
の世の中には成り立っているわけである。

もし、これが「=」になるときが来るとしたら、人の死が与える影響を消してしまえ
るようになった時だろう。
心とかそういう話になって来るならば、死と忘却が結び付けられれば「=」になる。

けど、そういうことはこの世界ではありえない。
僕らが何もないところに「意味」を見出してしまうように、死は特別な体験として捉
えられ「特別な意味」が与えられる。

だから、死ぬことで消えてしまうことは無いのだと思う。本当ならば。

◆彼女の死は無価値
多くの提督が絶望し、この作品の末路想定したあの話から数話が経過した。
盛り上がりたいだけの提督(偽)は彼女の死を忘れて、二次創作ネタを盛り込んでい
ることを叩きに走り、「!すでのな」に癒されて、比叡カレーを観て和み始めている

少しずつ彼女の死が忘れ去られようとしている。
彼女がいた痕跡が、あの世界だけでなく現実世界からも消え去ろうとしているのだ。

あの話が展開された時、多くの提督が艦コレ世界を末期へと叩き込もうとした。
私もその中の一人である。ムードをちょっと足すかのように轟沈させられた彼女を見
て、そうならざるを得ない理由を考えていた。

私は、何かしらの「意味」が欲しかったのだと思う。
彼女が沈んだことに何かしらの「意味」が欲しかったのだと思う。

彼女の死があの世界を揺るがすものになるか、我々の認識を揺るがすものとなって欲
しいと願った。

だからこそ起こりえないであろうBADENDを延々と考え続けていたのである。

そうでなければ、彼女の死は無価値だ。

◆そうして世界は元通り

僕はまた 何もできなかった
何もできないまま いつかこの怒りと衝動を忘れていく
何もしない自分を受け入れていく
―深瀬

彼女はこの世界からゆっくりと消え去ろうとしている。
もし蘇るようなことがあるとすれば、それは轟沈させられた時と同じような理不尽な
都合によるものでしかありえない。そんな風に扱って欲しくは無い。

「死=無」が個人の主観ではなく世界の現象として起こりつつある艦コレ世界。
彼女はどれだけの人の間で生き続けられることができるのだろうか、いつまであの世
界にいることができるのだろうか。
もしかすると、もうどこにも彼女の面影はないのかもしれないな。

 

 

 

 

 

願わくば、彼女の面影があの世界に垣間見えますように。