読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

釣竿で人は救えるか

思考メモ 在り方

 

釣竿は何のためにある。

 

コンテンツ

◆釣竿を見せびらかすおにいたんへ

◆魚は何処

◆自戒と読書の為

 

◆釣竿を見せびらかすおにいたんへ


下ネタでは、ないです。
なので、しまってください。


良く使われる話にこんなのがあります。多分、ゆきのんも言ってた。

【魚を与えるのか、釣り方を教えるのか】

どちらがいいのか、って話になると【時と場合による】が正解だろう。
ただ、ネットという場においては魚を与える事は難しいため釣り方を教えるのがほとんどである。お金をプレゼントではなく、お金儲けの方法をプレゼント、みたいな。
また、多くの場合は釣り方を教えるのが良いことだと考えられている。

【結果を与えるのではなく、結果に至る方法を教える】

自分で到達する価値があるものなら、手法を教えるという事はとても良いことだと思います。
なぜなら、結果のみを与えられた場合に再現性は限りなく低くなり、依存しなくてはいけなくなるから。

だから、
【釣り方を教えるのはとっても良いことである】


ただ、釣り方を教えるにしても全く意味のないことをする人がいる。

魚釣りには餌が必要だと知らない人に「釣竿で釣るんだよ」という人がいる。
釣竿すら持っていない人間に対して「川には魚がいるよ」という人がいる。
それどころか、魚を求めている人に対して「ここの魚は美味しいよ」という人がいる。
しまいには、自分の釣竿を見せびらかして「私はコレで○○を釣った」という人がいる。
釣った魚の説明を始める人もいるだろう。
食糧管理ができていないとマネジメント手法を提示する人が現れたりもするかもしれん。

もう一つ例を出そう。こちらは簡潔に。

わからない問題が出た時に

①教科書に書いてあると伝える
②今日の授業でやったよね。
③そんなことより字が汚い。
④今の時期にそれじゃあヤバいよ。
⑤今はグローバルだから英語を勉強すべき。
⑥お前はいつもそうだよな、と怒る。

 

まぁ、だいたいこんな感じ。

間違ってはいない、どこまでも正しい役に立たないことを教えてくれる。

そういうことをするのは大抵どうでもいい人なんだよな。

それか、自分がどうしようもないくらいに卑屈になっているか。

 

どちらにしても魚は手に入らない。

それどころか、釣り方さえも分からないままだ。

わかったことはただ一つ、自分はダメだという事だけだ。

◆魚は何処

世の中には偉そうな文章が溢れ返っている。
それを言うにふさわしい人間からそうでもないただの人間まですべてが偉そうである。
自分が卑屈になっている時はそう感じるだろうな。
もしくは、すべてが救いに見えているのか。

大事なのは
【どれを自分のための文章だと捉えるか、である】

釣竿だったり素敵な釣り場だったりを教えてもらうと、もう魚が採れたような気分がしてくる。
が、それを手に入れる、そこに到達するのに必要な事を知らないままでは釣りを始められない。
本当に必要だったのは餌の付け方だけなのかもしれない。
いや、それよりも誰かが釣ったものを奪い取るほうが良かったのかもしれない。

この時期になると自分の釣竿を見せびらかしたくなる露出狂が増えます。
そして、そういう人の多くは大きい枠組みで話を進めていきます。
将来的に見た釣り場とか、現在流行のルアーとかそういう感じの。
そういうのって大勢に当て嵌まる血液型占いみたいなもので、価値はあるけど意味は薄い。

【誰にでもあてはまる教訓だけを信奉するのって危険だよ?】

人生には無数の教訓が満ちあふれている。
しかし、どの一つをとってみても、万人にあてはまるものはない。
それを教訓とするかどうかは、君自身の選択に関わる。
――昔読んだ東方の二次創作より 上白沢慧音

この作品はとても好きだった。
けれど、今はどこに行ってしまったのか分からない。
名前も知らなければ作者もわからない。ただ、言葉だけが記録されている。
知っている人がいたら、教えてほしい。また読みたい。
追記:ググってみると、山本周五郎さんが元ネタのようです。


まぁ、思考実験とかは別にしても、
目の前で求めている人を前にして、自分以上の事を語っても意味はないんじゃないかな。

……そうすると、ネットに偉そうな人が多いのは目の前に他人が居ないからなのか?

『誰か』がいないと人は増長するのかもわからん。

 

何にしても、自分に合った文章を探さなくてはならない。

遠くよりも近いものが必要かもしれないし、近くよりも遠くを知っていなければならないかもしれない。

 

ある程度なってくると、自分のための文章を自分で考案するようになるらしい。

必要な事の為に様々な手法を取り入れていく。

そういう人はとても好き。

◆自戒と読書の為


こんな風に書いたのは、自戒の意味と俺ガイルのためです。
偉そうな本を読んでいると自分まで偉くなったような気分になる。
こういう風に一文書いてしまえば、少しは抑制されるのではないかと。

加えて、苦手分野でこういう経験が多かった。
基本的な事を知りたいと思っても、誰もがその先の話をしてくれる。
基本的な事はみんな知っていて当たり前だったのか、それとも誰も知っていなかったのか。
どうなんだろうなー、って思うわけです。


もう一つに挙げた俺ガイル。
「問題の解き方」が一つの軸になっていたような気がしている。
新しいアニメが始まる前にもう一度そのあたりを踏まえて読み直したいところである。
読んだらまたつらつらと。


それでは、また。

 

◆補足

 

必要ないと思いますが、念のために。

今回の記事は、【自分の領分をわきまえようという話ではありません。】

自分の枠組みなんてものを決めてしまえば、そこから動けだせなくなりますし。

 

自分の領分を超えた文章が

【自分を大きく見せる為】【自分の領域を拡張するため】

どちらであるのか、という話。

また、人によっては【自分は大きいと思っている時もある】って話。

 

【虚栄心のため、虚像を信じて、なんてのは誰の為にもならない】

 

そういう感じです。