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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

上から見ないと語れない

在り方

 

僕らは何時だって神様になろうとしてきた。

コンテンツ
◆中立・俯瞰・神
◆語るのに弱者を必要とする
多様性
◆地に足を

 

空想かもしれない
あなたに向けて

 ◆中立・俯瞰・神

この世に正しい事なんてない。
彼女の正しいはあの人にとって間違いで、あの人の正しさは彼女にとって間違いだった。
人間の数だけ世界があって、世界の数だけ正しさがある。

【この世に絶対的な正しさは存在しない】

あるいは、存在していても僕らには認識できないのか。

どちらにしても、全ての正しさは間違いであって、全ての間違いは正しい。
遍在する世界に重なり合う正しさを僕らは「正義」として社会という幻想を構築した。

そんなことが言壺の中には書かれていた、と思っている。

【私は言壺に正しさの幻想を観た】

だから、私が語ることができるのは『私にとっての言壺』でしかない。
そしてそれだけが言壺の正しさである。

しかし、自分の立場で語ることを避ける人間が現れている。

『私にとっての言壺』ではなく、『幻想としての言壺』を語ろうとする人が居る。
あるいは、それよりももっと醜悪なコトをしでかそうとする人が居る。

そう、今回は作品に対する立場に関して少し考えたい。

 

◆語るのに弱者を必要とする


集団を纏めるのに必要なのは共通の敵、みたいな話がありますよね。
内側ではなく、外側にあるモノが枠組みを規定するみたいな感覚。
現実で多いのは「弱者」だったりしますが、そういうの。

アレに近いことをネットでやっている人間が結構いる。

【共通の幻想から引っぱり出してきた「弱者」を使って論を始める人間が居る】

・○○を××だっていう人がいますけど……
・△△をあんな風に捉える馬鹿な人間がいるみたいですね……

仮想の弱者を作るのはやめろ
現実に存在していない、なんとなくそういう話を聞いたような気がするというだけ。
周りにそんな人物は居ないくせに、実害を被ったように話す人がいる。

【ネットですら弱者を作らないと何も語れない人間が居る】

語ることに踏み台としての仮想敵が必要となる。
わざわざ偽物の敵を作ってまで正しさを証明しなくてはならないのか。


……ネットで観たのは仮想敵を踏み台にして俯瞰風景に到達する感じ。

【どちらの選択肢も許容することで正しさを獲得する】

AなのかBなのか……
そんな些細な事を考えるのはやめなさい。
どちらも正しい、それでいいではありませんか。

そんな風に、【自分は多様性を認めていると錯覚した人間】がいる。
個人的にそういう人間は嫌いだ。

多様性

初めの話に戻そう。
人の数だけ正しさが存在する。
僕らは重複する正しさを社会の正しさと認識している。

【つまり、僕の正しさは僕らの正しさとイコールではない】

そうした場合に、僕が間違えないためにはどうすればいいか。

【何も選択しない】

僕の正しさを規定してしまうから僕らの正しさとズレてしまう。
僕の言壺ではなく、僕らの言壺を語らなければ、社会からズレてしまう。

【僕が幻想になるのではなく、幻想を僕にする】

社会の正しさを自分の正しさにしてしまえば大きく間違えることは無くなる。
そして彼はそれを多様性だと勘違いしている

【『どちらも選択しないこと』は多様性ではない】

全ての選択肢を許容することで、彼らを越えた気分に浸る。
どちらの良さも知っているから、彼ら一人一人よりも良く見れている、と思っている。

【全ての視点を内包することが正しさに繋がる】

全ての視点を検討するのではない。
全ての視点を鵜呑みにするといったところだろうか。

個を正しいとするならば、他人も正しいはずである。
なら、1つだけの正しさではなくみんなの正しさを内包する必要がある。

しかし、それは不可能だ。
僕らのすべてが共通の幻想にならない限り、全てを内包することはできない。
僕らは神様にはなれない。

遍在する世界ばかりを観ていて、自分の世界は気にも留めない。
幻想ばかりを観ていて、現実をみようとしない。


……何も選ばないのは傷を負わない選択としては最上だ。
いじめから守るのでも、攻めるのでもなく、傍観するというのは安全だ。

選択者にならないということは、それと同じだ。
多様性を許容するのではなく、対象に対して安全な位置にいたいだけ。
全ての視点を正しいとするのは、間違いを起こさないため。
なんて無様。

◆地に足を

私が見たいのは「選択の先にある風景」だ。
全てが正しいこの世の中で出した選択の先にある風景。

どっちも正しい、とか共通の幻想とかを語られても面白い事なんてなにもない。
そんなことは彼が語るべきことじゃない。彼じゃないといけないことではない。

【彼が語るべきことを語る】

どうして自分以外で語る必要があるのか。
幻想の事は幻想に任せればいい。他人の事は他人に任せればいい。
まずは自分の正しさを規定する。

多様性は個人があって成り立つものだ。
他人を自分にするのとは異なる。
ソレは他人を認めるとは程遠い行為だ。

多様性を個人で成立させようとしていたのかな。


……それでは、また。