huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

冴えない彼女の育て方―アニメ― 感想

 

 

アニメはきっとアニメなんです。

 

好意で人を釣る

以前読んだアイマスのSSに「好意でアイドルを望む方向にプロデュースする」ものがあった。

アイドルの自分に対する行為を利用して、アイドルとして彼女たちを輝かせる。

それを自覚して行っているプロデューサーがいた。

 

倫也もまた、同じような事をやっている。

自分に対する彼女たちの好意を利用して、望むゲームを作成している。

彼が好意に結論を出さないのは、そうしてしまえばサークルが崩壊すると分かっているから。

好意に応えるときがあるとしたら倫也で繋がれたサークルではなくなった時だろう。

あるいは、ゲームが完成してしまったときか。

 

もしも彼がそれを自覚的に行っているならばいい。

好意を踏みにじるどころか利用しているという罪悪感に苛まされているのならばいい。

 

だが、彼がそれを無自覚のまま行っているのならば、どれだけ残酷な事だろうか。

 

ご都合主義

「なんてご都合主義なのかしら」と言えば、どんな展開でも許されるのん。

 

作品全体を貫いていたのが「ご都合主義」である。

その中でも「主人公の為のご都合主義」が際立っていたように思える。

 

時折感じる気持ち悪さは、物語が都合よく進むのではなく、主人公の都合のいいように物語が進む、という展開だ。

 

12話においてもそうだ。

ロック界の堅物に、アニソン界隈から代表して文句を言いに来た!

なんて展開はどこにもなく、好きなのは実はアニソンだったんだーっていう展開。

それはよかったねー(棒)としか言いようがない。

 

こうした構造的なご都合主義もそうだが、主人公の言動に対する結果にも私は疑問である。

 

これについては以前述べた。

 

中身のない主人公の言葉でどうして彼女たちは揺れるのか。

単に私が彼を捉えられていない可能性もあるが、それでも私はおかしいと感じた。

 

そうだな、この作品は「跳んで」いる。

実際の行動と結果を結びつける要素が私の中で補完されていない。

だから、どうしても彼ら彼女らの言動が心を上滑りしていく。

 

最後まで彼らを掴みとることはできなかった。

それは多分、私にとって面白くなかったからなのだろうな。

 

過去から来たヒロインと、現在から来た彼女

倫也を取り巻く人間は加藤を除き総てが過去から来ている。

過去の出来事から仲良くなったとか、幼馴染だったとか、いとこだったとか、後輩だったとか。

そういう過去を利用してヒロインの特性を付随させるやり方が頻繁に用いられている。

 

そういう意味でも「加藤」というのは異質だ。

過去に取り巻かれている「倫也」の周りで一人だけ現在として在り続ける。

彼女の立ち位置としても現在―リアル―を彷彿させる場所に彼女は居る。

 

そういえば、ゲームのヒロインは過去を与えられていたな。

前世だったか別世界だったかは忘れてしまったが、現在だけでなく過去が与えられていた。

 

もしかすると、この世界では「過去の繋がり」が重視されるのかもしれない。

最悪の場合、加藤にも実は過去の繋がりがあった、とかされるかもわからん。

 

「過去の出来事」はそれだけでその人物に重みを増すことができる。

けれど、視聴者が触れられない彼女だけの出来事が積み重なり過ぎると、こちらはポカーンだ。

過程がすっ飛ばされてしまう。

 

加藤との関係性だけが視聴者にとって唯一のリアルだった。

 

雑感

ゲームの製作というテーマに惹かれていたが、「跳ぶ」せいでどうも面白味が感じられなかった。

後は、主人公が好きになれなかったとか、そういったところだろうか。

 

だから多分、この作品は私にとってタイミングが悪かった。

嵌る時期に観ていたならば嵌っていただろうな。

 

残念だが、それくらいの感想しか出てこない。

 

原作を読んだら少しは変わるのだろうか……