huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

シンデレラガールズ 11話 みくとりーなちゃん

 

みくとりーなちゃんの話でしたね。

 

 

みくのプロ意識に捕らわれすぎていたせいか、普通の話に肩透かしを食らってしまった。

これといった発見もなく11話は終わってしまった。

 

みくのプロ意識は何の伏線でもなかったのか。

 

以下感想。

今回はいつも以上に短いです。

 

 

 

 

前川みくとしての可愛さ、りーなちゃんの可愛いさ

みくにゃんではなく、前川みくとしての魅力が溢れていた。

ロックちゃんではなく、りーなちゃんの可愛さが溢れていた。

 

アイドルではない女の子の部分が見えたのが、今回の話だったのかなー、と。

 

2人のやりとりは凄く印象的だ。

ぶつかり合いながらも相手を認めていて、寄り添う姿も見れたりして。

ケンカしながらもお互いに気を遣いあったりして、彼女達らしさが伝わってきた。

 

みくとりーなの舞台

二人がにゃーにゃー言っているのを傍から見守るだけの仲間たち。

観客が温まってからにゃーにゃー言い始める仲間たち。

 

彼女たちの舞台であり、彼女たちの話である以上、過度の干渉はダメなのかもしれない。

けれど、一緒に盛り上げるような描写があってもよかったのでは、と思ってしまう。

 

なんとなく、彼女たちはまだ遠い気がしてならない。

 

彼女たちは余りものか

彼女たちをユニットした理由を考える事はできる。

けれど、理由があるからと言って納得できる感じでもない。

というーか、理由を考えないと納得できない時点でどうなのかしらん。

 

それに、冴えない彼女で使われた登場人物に「ご都合主義じゃないか」と言わせるのに似たやり方が使われていた。

プロデューサーに彼女たちは「余りものじゃない」と言わせることで、事前に手を打った。

そんな打算的なセリフに聞こえてしまう。

 

ユニットである理由がストンと落ちて来ないのがすごく残念だった。

可愛い以外の楽しみ

可愛いは正義だ。

それは、ラノベの売上は表紙で決まるみたいな感じ。

 

346プロだから

プロデューサーの必要性がほとんど見えてこない。

プロデューサーが何かをする、というよりかは会社が何かをしているような。

蘭子ちゃんの時に感じたアレはもうないのだろうか。

 

あの場にいるアイドルにとってプロデューサーでないとダメ、なんて考えているのは

数人しかいないのではないかと思ってしまう。

 

言葉が変わっているのはわかるが、行動が見えない。

大きいプロダクションだと直接的な部分は少ないから見えないのか。

 

どうなんだろう。

信頼する、信頼される間柄にはなっているのだろうか。

 

終わりに

このままではキャラクターの可愛さしか活かされないまま一期が終わってしまう。

ストーリー的な面白さはなくなり、ただただ「かわいい」だけがこの世界に残り続ける。

 

ストーリーが薄いため、可愛いが通用するのはプロォデューサーだけだ。

つまり、私には凄い効く!

 

けど、彼女たちがストーリーの上に乗っていたらもっと輝ける。

だから、あと残りの数話でそうなることを祈る。

 

そして、ようやく彼女たちの女の子の部分が描かれ終わった。

アイドルとしてではなく、個人としての魅力が描かれるシーンは終わった。

 

ストーリーの上に、アイドルとしての彼女たちを乗せ、輝いた彼女たちを観たいものだ。