プラスティックメモリーズ 5話 作品における悪
『悪』
今回は、素敵な展開でしたね。
壁を跳び渡る展開は、空の境界を彷彿とさせられました。
……アレ?何の話をしてたんだっけ?
◆作品における「悪」
悪には、「解体、改革、向き合う、対峙」なんて意味が内包されている。
作品における悪という存在は、物語を進める為の道具であったり、
主人公と対峙、その関係性を解体・改革する存在であったりする。
だからといって、
作品に「悪」が必要であるというわけではない。
ある意味で、「悪」というものは都合のいい存在だ。
「悪」と対峙させることでストーリーを生じさせることができるから。
「悪」と対峙させることで物語を進める事ができるから。
しかし、
本当は「悪」も「悪役」も主人公と同等の価値・意味を与えられるべき存在だ。
魅力的な「悪」や「悪役」はそれにふさわしいだけのモノがある。
ただ、この作品の「悪」にはそれが見当たらない。
◆闇回収屋
どうしてこういうものが必要になったのだろうか。
ただの作品のスパイス以上の価値が彼らにはあるのだろうか。
作品の整合性を考えるのなら、まだ分かる。
ロボットのパーツを回収するためとか、反ロボット派による暗躍、みたいな。
だから、ああいう世界に闇回収屋が存在していることはなんら不思議ではない。
ただ、
不思議ではないから描いた、でいいのだろうか。
枠組みとしての世界を描くならば、闇回収屋は必要だったかもしれない。
だが、セカイを描くのに、彼らは必要だったのだろうか。
◆セカイが壊れ、世界ができた
今回の話だけで断定するのはよろしくないことだろう。
だが、これまで共有されていたセカイは壊れていった。
「悪」の要素には「解体」がある。
闇回収屋は、我々視聴者のセカイを解体していった。
過剰な能力、闇回収屋、ワンダラーなんてものに「理由」を付ける事はできる。
が、「腑に落ちる」のとは別の問題だ。
セカイを壊し、世界を造っていった第5話。
世界の上に、セカイを構築するのか、世界を忘れてセカイを描くのか。
- どうするんだろうな。