huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

プラスティックメモリーズ 1巻

 

 

死に行く私が残せるもの

見送るあなたに残せるもの

 

 

彼と私は生きる時間が違う。

彼にとっての1秒は、私にとっての1時間で、

彼にとっては普通の出来事が、私にとっては特別な出来事で、

彼にとっては何度も出来る事が、私にとっては一度しかできないことで、

彼は私よりも長く生きて、私は彼よりも早く居なくなる。

 

違う時間を生きる私たちは、彼に何を残せるのだろうか。

 

 

生きる時間が異なる僕ら

ギフティアの寿命は81920時間。

人の寿命はその何倍もある。

 

つまり

ギフティアにとっての1時間は

人間にとっての数分に過ぎない

 

ギフティアの人生をすべて費やしても、

人間の人生の何分の1にしか過ぎない。

 

根本的に、ギフティアと人は生きている時間が異なる。

 

もし、そうした二人の間に特別な関係が生まれるとしたら、

どうするのが、ホンモノなのだろうか。

 

死に行くギフティアと共に死ぬのがホンモノだろうか。

無くなったギフティアを胸に、生涯孤独に生きるのがホンモノだろうか。

それとも、忘れてしまったほうがいいのだろうか。

 

生きる時間が異なる僕らは、どうするのだろう。

 

消えゆく君に残せるもの

愛する人を目の前で引き裂かれるのが人間だ。

終わりを決めるのは二人ではなく、外部の人間。

表面上は終わっていないにもかかわらず、終わらせられる関係。

 

美しいものを美しいままで終わらせたいということは一般的な心情の一つのようだ。

堕落論

 

 

少年少女が童貞処女のまま心中したのと違い、

人間とギフティアは、童貞処女のまま刺殺をされる。

 

我々人間は、それを受け入れなければならない。

その時に、我々人間がギフティアのためにしてやれることはなんだろうか。

 

 

僕らにできるのは

最期の時間まで、一緒にいるぐらいだろう。

 

 

これまで見てきたギフティアの多くは「別れ」と向き合っている。

「別れ」を受け入れている、とは少しばかりニュアンスが異なる。

 

事実を目の前にして、出来る事を彼らはしている。

彼らも僕らと同じように、「感じ、喜び、悲しみ、怯える存在」であるにも関わらず、だ。

 

ギフティアは心を持っていて

所有者も心を持っている

―プラスティックメモリーズ Say to good-bye

 

 

僕らが「別れ」と向き合わない限り、別れは「悲しい」だけのものとなる。

それは、僕らにとってもそうだし、ギフティアにとってもそうだ。

 

だから、僕らも向き合わないといけない。

彼らが後悔を残さないように。

 

 

見送るあなたに残せるもの

愛する人よりも先にこの世から消えるのがギフティアだ。

消えゆくモノがあなたに残せるものはあるのあろうか。

 

だけど

どの道あのままじゃ最後の思い出全てが辛くなってしまう

シズルにそんな後悔を残したくなかったから

―プラスティックメモリーズ Say to good-bye

 

 

残せるものは「思い出」ぐらいなものだろう。

お互いに、幸福であったという事実は間違いないのだから。

 

結局、人も、ギフティアも同じなんだ。

「別れ」と向きあい、一緒に時間を過ごすことしかできない。

 

そうすることでしか、「さよなら」をいうことはできないんだ。

 

ホンモノはここにある。

ほら やっぱり私 幸せだ。

ありがとう パパ

―プラスティックメモリーズ Say to good-bye

 

 

人間が描かれていた。

ギフティアが描かれていた。

ホンモノが描かれていた。

 

私はずっと、人間とギフティアの関係は偽物だと思っていた。

 

「別れ」を受け止めることが「美しい」だなんて、そんなことはありえなかった。

一緒に居たいならそのためにはなんだってやるべきだと思っていた。

そうすることでしか、それこそが、ホンモノなのだと思っていた。

 

だからこそ

「別れ」が「美談」として語られることを嫌悪していた。

 

だからこそ

美しいまま別れを迎える「人間」も「ギフティア」偽物だと思っていた。

 

これまでは外から見える悲しい部分しか見えてなかったんだと思う

今日のあの二人を見て最後のあのわずかなやりとりの中に

これまでの相手もみんな

悲しさ以外の気持ちもいっぱい詰まってたんだってわかったからかもね

―プラスティックメモリーズ Say to good-bye

 

 

TVのドキュメンタリーは「別れ」を美しくしすぎる。

「別れ」を一つのコンテンツに貶め、「悲しさと美しさ」を共有する道具に貶める。

 

もちろんそれは、TVに限った話ではない。

アニメや漫画でも、取り敢えず死んだことにして涙を貰おう、なんて展開もあるはずだ。

 

ただ、この作品は「悲しさ」もそれ以外の「気持ち」も描いてくれた。

 

…ああ

別れを受け入れたんじゃなくて

向き合ってるんだ…

―プラスティックメモリーズ Say to good-bye

 

全部描いてくれている。

人も、ギフティアも、ターミナルサービスも。

 

だからこそ、僕らも「別れ」と向き合うことができる。

 

終わりに

人も、ギフティアも、ターミナルサービスも、全て丁寧に描いてくれている。

こういうものだって、思わせてくれる。

 

だから、私はこんなにもこの作品が好きなのだろうな。

 

プラスティック・メモリーズ Say to good-bye (1) (電撃コミックスNEXT)