プラスティックメモリーズ 6話 可能性のままで
闇回収屋は壊滅しました!
アイラちゃんが可愛いです!
サーシャ……?
◆緩やかな死
基本的に描かれる「死」は緩やかだ。
ゆっくりと「死」に蝕まれ、「死」に至る。
その過程で、「ヒト」は「死」と向きあうようになっていく。
ただ、「ギフティア」は「緩やかな死」を迎えられない。
ワンダラーにしても、ターミナルサービスにしても、唐突に死ぬ。
前回の話からそれが浮き彫りになった。
もし、緩やかな死であるならばワンダラーになる選択も取れただろう。
薄れゆく記憶の中、「私を殺してくれ」なんて風な話にもできた。
だが、世界観にそぐわないファンタジーを見せてくれたおかげで、それはもうありえない。
ワンダラーという選択肢は、世界における異物として処理される。
優しさの中で死を迎える事は許されなくなる。
◆ワンダラーという選択
所有者も、ギフティアもどちらも幸福にはなれない選択肢。
流れに反する、というのは主人公の王道である。
「たとえ世界が敵になったとしても……」そういう選択肢を取る姿は周囲の人間をどうしようもなく惹きつけられる。
だが、その選択肢はもう取ることはできない。
サーシャがそれを示してくれた。
ワンダラーになったモノの末路を。
ワンダラーの所有者だった者の末路を。
「正しく別れる」という選択肢しか彼は取れなくなった。
もし、サーシャを見ておきながら、アイラを生かすという選択を取ったならば、
私はもうどうしてよいか分からない。
◆アイラという存在
彼女は特別か否か。
◆あの素晴らしい艦これをもう一度
サーシャの死は無価値。
サーシャが死んでしまったのは、闇回収屋のせいではない。
サーシャを殺したのは物語だ。
如月ちゃんと同じように、彼女の死は無価値だ。
◆アニメに流れる時間
現実とは違う時間がアニメには流れている。
僕らはそれを意識しないでいることもあれば、ひしひしと感じる事もある。
特に、「心」を取り扱う作品において、「時間」は大切だ。
彼らと同じ時間を生きているという感覚が、大切だ。
だが、この作品は「心」を取り扱うわりに、
「時間」がぞんざいに扱われている気がしてならない。
◆終わりに
艦これの時と同じ不穏さが流れている。
作品としての不穏さ、だ。
どうなっていくのか、ではない。
どうなってしまうのか、だ。
本当、どうなってしまうのだろうか。