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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

混沌ではいられない

在り方


偏りが60億の混沌をシンプルに解決する
― PLUTO

 

 

混沌があり、ソレを偏らせることで、怪物が生まれる。
最初に必要なのは「混沌」だ。

自分の中に渦巻く「混沌」を「文章」というツールで以って、指向性を与えてやる。
そうすることによって、「混沌」だったなにかがある方向へと「収束」していく。

最初の内は、これまで蓄積してきたコンテンツや出来事を文章に落とし込んでいけばいい。
コンテンツと自分を繋げ、コンテンツとコンテンツを繋げ、一つの方向に纏めていく。
そうすると、「混沌」に秩序が与えられ、一つの「言葉」を獲得するようになる。

つまり、
「蓄積された混沌」が「収束」されれば、それなりに面白いコンテンツが生まれる。

ブログってそういうものかなって思っています。

 

■「秩序」ができあがる


「混沌」が整理されると、「秩序」ができあがる。
「秩序」というものは、その人の「思考」や「捉え方」なんてものを意味し、それ自体で一つのコンテンツになり得る。

だが、その「秩序」に留まり続ける人間がいる。

コンテンツを自分の「秩序」の上を滑らせ、全てを同じ結論へと導き出す人間がいる。

私の場合、それがアイマスで発生していた。
アイドルマスターに類似するコンテンツに対して「アイドルマスターのディスプレイを通して」コンテンツを観ていた。
作品を見るふりをして、自分のことしか見ていなかった。

私は嫌っていた人間と同じことをしていた。

「秩序」という川にコンテンツを浮かべて沖へと流す。
私は「コンテンツ」と「私」の同じ部分だけを眺める。
コンテンツは「私」を傷つけることなく海へ辿りつく。

そんなことをしていても、川の深さも広さも変わらない。
「秩序」に留まり続けていては、何も変えられない。

多分、彼は理解してくれないだろうな。

②「混沌」の量

凡人以下の人間は手のひらに収まる混沌を偏らせることで、怪物を作り上げようとする。
誤解を恐れずにいうと、「そんなレベルで偏らせても、しょーもない場所にしかたどり着けないよ」ってこと。

コンテンツを沈み込ませず、基礎を疎かにしたまま、
文章を書き続けても、到達できる場所はたかが知れている。

細々とした川に、僅かばかりの種。
そんな土壌で素敵なコンテンツが実を結ぶことは少ない。
そんな土壌で出来上がる素敵なコンテンツは限られている。

にもかかわらず、何も手を打たないのは何故だろうか。
それは、当人が収穫される「実」に満足しているからだ。
他人を排し、自己を肯定し続ければ、そんな生き方もできるだろう。

けど、「表現したがる人間」がそういう在り方でいいのだろうか。"

 

◆終わりに―■■■■―

最近、自分の物足りなさが顕著になってきている。
その根っこにある問題が、今回の「混沌」と「秩序」に関する話だ。

「混沌」とは言えない自分と、しょうもない「秩序」に甘んじているかぎり、私は「それらしい言葉」でしか物事を語れないだろう。

それは、私が望む場所には到達できない、ということだ。

そしてそれが私の周囲でも同様に発生している。
「現状」から脱する意思もなく、向上心だけを持って溺死する。

「妄想の果実」を抱いて眠るのは嫌、なんです。

 

今一度、「基礎」と「環境」を見つめ直す。