君のことは君しか分からない。
君を理解するために
私は君になろう。
■物事を理解する
我々は何かを理解しようとするとき、「追体験」というものを重視する。
彼女がどうしてそういう風に考えたのか、どうしてそういう行動を取ったのかを、
「彼女のセカイを追体験」することで理解しようとする。
『聖地巡礼』なんてものもその一種なのだと思う。
彼女が歩いた街並みを歩くことによって、彼女という存在を理解しようとする。
普通の人にはなんてことはない「場所」であったとしても、
彼女を知る私が歩くことによって「特別」になる。
そこにある風景に彼女の残滓を嗅ぎ取り、私の中の彼女が語りかけ、
私は彼女と合一する。
僕らは「対象と合一」することによって物事を理解しようとする。
理解するために、私は彼女になろうとする。
■同一化願望
対象を理解するために「同一化」しようとするのは理に適っている。
彼女と同じように行動し
彼女と同じように考え
彼女と同じように涙を流す
彼女という存在に近づくことによって初めて理解できることは少なくない。
また、同一化により理解できることは主に「精神的」な部分となる。
あるいは「神的」と言い換えてもいいかもしれない。
彼女の外面だけをなぞっていても、彼女の神様には触れられない。
彼女と同一化することで、彼女の神様を肌に感じる事が出来る。
それこそが僕らが求めていたモノだ。
ただそれは、「他人」を理解した、ということでいいのだろうか?
◆他者理解
「同一化」は理解に繋がる最適解である。
ただし、それらは全て自分を介することによって得られる理解である。
他人を他人として理解するのではなく、自分の中の他人を理解した、という感覚。
下手をすれば、自分との重なりが他者の総てだと認識してしまいかねない。
目線は何時だって自分の内側に向けられている。
それでは、いつまでたっても他人は見えてこない。
いつまでたってもはじまらない。
◆俯瞰を必要とする瞬間
自分を超えた理解を獲得するために必要となるのが「知識」である。
「知識」が自分を押し上げて「俯瞰風景」を突き付ける。
言うなれば、「知識」は土台であり、定規であり、武器である。
それらで以って我々は世界に触れていく。
「知識」をどのように解釈するかは個人に委ねられる。
精一杯都合の良いように考えてもらえると嬉しい。
一段高い場所から彼女を理解しようとする。
私ではない彼女を理解しようとする。
◆彼女でなければわからない・・・
彼女を理解するには彼女にならなければいけないのだろうか。
彼女を理解するには彼女になるだけで充分だろうか。
彼女を理解するには何が必要であろうか。
そもそも理解なんて必要であろうか。
◆理解
「理解」とは「本物」に到達するための手段である。
つまり、「理解」とは「本物」に至るためのプロセスである。
偽物が本物に近づくために理解する。
ロボットがヒトに近づくために理解する。
彼女を「理解」することによって、彼女の「本物」に近づこうとする。
だが、「本物」が無くても僕らは「幸福」に至れる。
知らなければ「幸福」でいられることはある。
だから、多くの人間には「本物」なんて必要ない。
◆本物を求めるわけ
【理解したその先に求めるものがある】
そういう場所に求めてやまないものがあるから、わざわざ理解をしようとする。
そういう場所を求めていないから、理解する必要がない。
ただ、同じ場所に立っているのだから、
その先の場所を一緒に見つめるぐらいはできるだろう。
◆終わりに
「シーザーを理解するのには、自分がシーザーである必要はない。」
完全な追体験可能性というのは、理解の明確性にとっては大切であっても、それが意味解釈の絶対条件ではない。
――社会学の根本概念
「彼女ではない私に必要な物はなんなのか」
とか考えてみたり。