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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

可能性の墓場 プラスティックメモリーズ 感想

SF アニメ

 

純粋な愛を謳うには無粋すぎて、贅肉が多すぎる。
SFとしては世界観に偽りが多すぎる。
ヒトとモノを描くのには描写が足りない。

 

この作品がかろうじて残すことができたのは
「アイラが可愛い」ということだけだ。

 

作品として残せたのは、ただそれだけ。
「愛」も「家族」も「仕事」も「SF」も「人間」も「ギフティア」も
全部ぜーんぶ、最期には可能性を潰されて死骸にされた。

 

『可能性の墓場』

 

それがこの作品を冠するに相応しい名だろう。

以下にこの作品の「罪」を記述した。
「罪」などと銘打っているのは、響きが良いからである。
正しくいうならば「問い」だ。


それでは、私とプラスティックメモリーズの終わりをはじめよう。


◆一つ目の罪―「人間と人間(ギフティア)」


この作品の一つ目の罪は、「人間とギフティア」を描かなかったことに在る。

ヒトとモノというスタンスを徹底的に守り抜き、次世代の愛を表現した「BEATLESS」に対し、
モノであるギフティアを人間として描写し、人間との差異を描かなかった。
それがこの作品の一つ目の罪である。

他の作品に目を向けても、ロボットという属性を付与されたキャラクターは多い、と思う。
だが、「人とモノ」を描くことを決めた作品ならばそこを同率に扱ってしまってはならない。
こういう感覚は私がBEATLESSという作品に出逢ってしまったからなのかもしれないが、私はそう思う。

”ギフティア”
心を持つアンドロイド。
彼ら、彼女たちは、人と同じように感じ、喜び、悲しみ、怯える存在。
そして、その寿命はあらかじめ決まっている。
――プラスティック・メモリーズ ホームページ

ギフティアと人の違いは寿命でしかない。
もし、そうだとするならば彼ら、彼女たちは人間の理想に沿って作られた人間である。
デザインベイビーなんてふうに考えたら良いだろうか。
自分の意志では止められない、鋼鉄の心臓を与えられた人間。

そう考えるならば、ギフティアをモノとして描かなかったのも理解できる。
寿命が短いだけの人間だと仮定すれば、ああした描写も理解できる。
…………そんなわけあるかッ!


ギフティアを人間とするには、彼ら彼女らは美し過ぎた。
最期の時を迎えるとき、足元に縋りつくのはいつだって人間だった。
「死」を目の前にして達観しているのは、ギフティアだけだった。
作中で描かれていたのは全て人間の描写だけであった・・・

ギフティアという人間を安らかに殺すという選択肢を迫られた際に、
人間がどう向き合うのかということだけを描き、
「死」を受け入れる事しかできないギフティアの心を描かなかった。

それ故に、私はギフティアと人間は違うものであると考えた。

心もあれば、感情もあり、排泄機能も必要であれば、嗜好もある。
それでも、人間とは違う存在であると考えた。

アイラとツカサは違う存在である。
けれど、違っていても一緒になれる。
そういう物語なのだと考えようとした。


いつか、誰かが「私はギフティアなんだよ?……だから、ね?……」と困ったように笑いかけるのだと信じていた。
そして、彼と彼女は違う存在であることを意識し、それでも同じになろうとしてほしかった。

足元に縋りつく人間はそれを理解していない。
違いを意識しないままでは、最期の時を迎えるその時にしか、彼らや彼女達のことを理解できない。
けれど、引き裂く立場にいた彼と彼女はそのことを痛いほどに理解しているはずだ。
人と同じ心を持っていても、違う存在であるのだと。

ギフティアと人間を引き裂く立場の人間だからこそ、そういう選択をしてほしかった。
でなければ、引き裂かれていった彼ら彼女たちが報われない。

そして、もう一つ付け加えるとするならば
アイラだけがギフティアの枠に納められなかったことである。
別の言い方をするならば、人間らしいということであり、特別扱いということでもある。

「想い出なんていらない、ただプログラム通りに動くのならよかった」
「私がいると迷惑になるので」

アイラが発した台詞(うろ覚え)である。
言葉的には、「どうせ別れるならば、出会わなければよかった」に近いものがある。
別れるとき、終わってしまう時のことを考えて何もできない、何もしないほうがよい、
なんていうのはずっと人間らしい選択だ。

ただ、他のギフティアはそういう選択をしてこなかった。
少なくとも、そういう描写がなされなかった。

アイラだけが特別に人間として描かれた。


人間として揺れ動くギフティアのアイラと、
人間らしく揺れ動く  人間  の水柿ツカサ。

ギフティアという存在を描けなかった、
ギフティアという存在をただ人間よりも早く居なくなる存在としてしか描けなかった。
ギフティアという存在をただの属性としか描けなかった。
ギフティアをただの舞台装置に貶めた。


それがこの作品の第一の罪である。


◆第二の罪―時間の違い

数百年を生きる妖怪と数十年しか生きる事ができない人間。
その両者を流れる時間は同じだけれども違っている。

彼女にとっての十年は人生のほんの一瞬でしかない。
彼にとっての十年は人生の1/8を占めている。

別の例を出すならば、エマノンだ。
生命の歴史を記憶する彼女にとって、彼の人生は全体の数%でしかない。

別の時間を生きているはずのギフティアと人間は同じ時間を生きていても
同じ時間を生きているわけではない。

それは本来、小さな思考や行動に表れるはずだ。
自分が終わってしまっても、彼女の人生は続いていくのだと知った時
彼は彼女に何を残せたのだろうか、何をしてあげられたのだろうかと考える。
もしかすると、自分のことなど忘れて幸せになってほしいと願うだろうか。

私は止まっても彼は動き続ける。
私が居なくなっても、彼はそこに居続ける。

そういう終わった先のことを考えた物語があってもよかったはずだ。
人間と人間の別れではなく、違う存在との終わりを描くことだって出来たはずだ。


だが、「ただ寿命が違うだけのだ」と考える事もできる。
ギフティアとは人間であり、ただ他の人より寿命が短いだけなのだと。
余命を宣告されただけのただの人間なのだと。

もし、そうだとするならばギフティアなんて必要なかった。
余命幾ばくかの少女と愛を描けばよかった。
「美しい私のまま、君の手で殺して欲しい」と乞う少女を描けばよかった。
童貞処女のまま互いを刺殺する少年少女を描けばよかった。
余命が違うだけならば、ギフティアを使う必要なんてなかった。

 

ギフティアという存在を無意味なものにした。

それが第二の罪である。

◆第三の罪―ワンダラー

ワンダラーについて語る前に、関連した被害者について記述しておく。

「闇回収屋」
彼らもまた舞台装置に貶められた人間である。
そしてそれらを制圧するために用意された人間もまた同様だ。

彼らは「悪役」として描かれながら、その役目を全うとすることができなかった。
よく分からないテコ入れをされた漫画のように、彼らの存在はあの世界に根付くことなく
宙に浮いたまま放置され続けている。

ギフティアが人間として描かれていたのならば、彼らは必要なかった。
家出をした彼を探しに行ってタイムアップとかそういう風に描くことだってできた。
ただ、モノとしての領分を残されていた彼女は「死」を受け入れる選択しかとれなかった。
彼女はそういう存在として描かれてしまった。

作品の都合上生み出された空虚な存在。
それが「闇回収屋」の正体だ。
彼らはご都合主義を通すための道具に過ぎない。

それでは、「ワンダラー」について問題を。
彼女の存在は炎上マーケティングを彷彿させるほど話題を攫い、世界観を壊していった。

・過剰な戦闘力
・時間を超えるとバーサク化
・大切な人を狙う

ファンタジー世界のバトルアクション並みの動きをワンダラーは見せてくれた。
活動限界時間を超えると暴走状態に入るとかどういうことなのでしょうか。
使徒と闘う必要でもあったのでしょうか。


……もちろんそんなことはない。
ただ、単純にインパクトが欲しかったのか、SF感を出したかったのか、あるいはシリアスにしたかったのか。
もしかすると、「テコ入れにバトル展開」みたいな王道展開かもしれませんね!
そのどれであっても、どうしようもない話なのが救われないところだ。


彼女の存在はただ、「時間を超えたらどうなるのか」という解だけを残すためだけに用意されていた。


彼女という存在を利用することで「解」は示された。
ただ、それが彼と彼女の選択に関わる必要もなく、それ以降必要とされることもない。
「時間を超えた先」を「視聴者」に示すために彼女は使い潰された。
ただ、それだけのために。

その後、彼女の存在はなかったかのように
ギフティアは人間と同じ存在として描かれるようになる。
あれほど強烈な差異を描いておきながら、違いを意識させられることなぞなかった。
違いを意識しないままでは、最期の時を迎えるその時にしか、彼らや彼女達のことを理解できないというのに。


視聴者を納得させるための道具として彼女を利用した。
そして、時間を超える選択をこれで潰したということにしてしまった。
視聴者の疑問にピリオドを打つためだけに使い潰した。

それが第三の罪である。

◆第四の罪―想い出が積み重ねられない

ワンダラーの一件を始めに、多くの出来事がリンクしないまま物語が進められた。
ターミナルサービスとしての仕事の一切は想い出として積み重ねられず、
ターミナルサービスの内側だけが想い出として積み重ねられていた。

別の言い方をするならば、外側が内側のために利用されていた。
所有者と引き裂かれるギフティア達ははぐれメタルのようにツカサの経験値へと変わっていった。
彼ら彼女たちは、ツカサが成長するためだけに用意されたモンスター。なんて
※ワンダラーを撃った経験値がどこに蓄積されているのかは分かりません。

単純に言ってしまうと、全ての出来事がツカサに結びつき、アイラに結びついている。
引き裂かれた彼や彼女のことは「想い出」になっていないんだ。

引き裂かれる彼らや彼女たちは点としてその場に残されて放置される。
勇者が倒した敵の数を憶えていない様に、彼ら彼女たちはモブとして処理される。
彼らにとっては、終わった出来事でしかないんだ。

外側の想い出ばかりを積み重ねてきた私は、途中から置いていかれてしまった。

それが成長するってことなの?
それが大人になるってことなの?

……これが第四の罪だ。

◆第五の罪―記録と想い出

こういう体験をしたことはないだろうか。

「先日のように思える出来事が実は何年も前の出来事であった」

これは、過去の鮮明さが個人の時間を狂わせている例である。

僕らは時間の流れを「感覚的な距離」として捉えている。
それゆえに同じ年代の人でも学生時代が「もう××年前」なのか「まだ××年しか」となる。
今の自分と過去の出来事がどれだけ離れてしまったのか、で人は過去を、思い出す。

では、ギフティアはどのように過去を思い出すのか。
すべてを「記録」しているのだとしたら、過去はすべて同じ距離にある。
一年前の出来事も、十年前の出来事も数秒前の出来事のように思い出すことができる。
ただ、記録された日時から数年前の出来事なのだと理解するだけだ。

だからアイラは日記をつけているのだと思っていた。
データの上では全ての記録は等価である。
だけど、日記を付ける事で記録に物理的な差異を生み出す。
紙を捲るという行為は詩的だ。
そんな必要のない行為の中に、想い出が生まれるのではないかと思う。
大切な時間が生まれるのではないかと思う。

ただ、そういうわけでもなさそうだ。
寿命が短いだけの人間に過ぎないギフティアは人間と同じように想い出を積み重ねるのだろう。
だから、人間とギフティアは想い出を共有することができる。

本来ならば、忘れる事も薄れる事も無い等価の記録。
等しく配置されたデータの中で、確かに残る現実。
18gに残った想い出のように、記録は想い出にすることができる。

この作品はソレを行わなかった。
記録はどんな工程も挟まずに想い出にされる。
無駄な感傷とも呼べる時間を、描かなかった。


それが第五の罪である。


◆第六の罪―また巡り会えますように

「大切な人といつかまた巡り会えますように」

この言葉はアイラの祈りである。
データの上にしか存在していないギフティアに来世は無い。
元のボディに身体的な記憶が残っているようなこともなく、この世から消えてしまう。
つまり、僕らが考え方として内包している「来世」というものを現実に持っていない。
どれだけ願おうとも、また巡り会えることなんてありえない。

では、どうしてアイラはその言葉を投げかけるのか。

機械よりも曖昧な人間は、無いかもしれない未来を信じる事が出来る。
生まれ変わるなんて非常識な出来事も、もしかしたらと願ってしまう。
自分もソレを願うが、他人がソレを願うこともある。
終わってしまったその先が幸福であってほしいと。

けれど、機械は生まれ変わることを望まれない。
機械は終わってしまったその先を想われることは無い。
あるとするならば、過去として思い出されることくらいだろう。


だから、アイラだけは終わってしまったその先を祈る。
「大切な人といつかまた巡り会えますように」
あるはずがない未来を祈る。

それはある意味で救いになるのかもしれない。
誰だって本当は消えたくないに決まっているから。
本当は大切な人ともっと一緒にいたいに決まっているから。
誰もが別れに浸るなか、未来を祈ってくれる存在は救いになるのかもしれない。


だが、その言葉はアイラが言うべき言葉だろうか。

私ならば大切な人にその言葉をかけてもらいたいと思う。
消えてしまうあなたの未来を祈るという行為。
ありえないことでも、あなたが祈ってくれるのならば私もそう思えるから。

……これが、第六の罪である。

◆第七の罪―僕らに残されたもの

ギフティアとは人であったのか、モノであったのか、それとも別の存在であったのか。
セカイを描きたかったのか、世界を描きたかったのか。
ターミナルサービスの外側を描きたかったのか、内側を描きたかったのか。
アイラとツカサだけの物語だったのか、それ以外も含めた物語だったのか。
SFを描きたかったのか、設定を利用したいだけだったのか。
……


すべてがチグハグで作品としてまとまりがない。
色んな可能性が中途半端に利用されており、もったいないというのが本心だ。
正しい使い方で、正しい人間に用いられていれば、よかったものの
「アイラ」のためだけに利用されてしまった。

周囲がアイラを輝かせることなく、アイラだけに光を当て続けた。

故に、利用された可能性は踏み砕かれ、心には何ひとつ残らなかった。
残ったのは、「アイラチャンカワイイ」という情報だけだ。

アイラの可愛さは「想いの中」にはなく、「記録」として人々の中に残された。
人と人の間に生まれたものでもなく、物語の中に生まれたものでもなく、
ただ、彼女が可愛かったという情報だけが記録される。


しかし、人間の「記録」はいずれ上書きされる。
そして数か月後にはアイラを「可愛かった」と思い返すようになるだろう。

 

アイラを「想い出」ではなく「記録」にした。
感情の伴わないただの情報に貶めた。

これが第七の罪である。

 


◆終わりに
彼と彼女はその場にいる誰よりも人間的であった。
彼と彼女は最後のその瞬間まで互いの幸福を願い続けた。

そのことだけは、忘れない。
そういう人とギフティアが居たのだということだけは。

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