個人が抱える「幻想」について
私はインターネットとは幻想郷のようなものである、と考えている。
どんなものも存在することが許され、どんなモノも許されるそんな素敵空間。
人も、妖怪も、神も、それ以外の何物でも受け入れる幻想郷のように、
インターネットも個々人が抱える幻想を許容してくれる空間である。
しかし、現在では個人が抱える幻想はネット上から消え失せ、共通の幻想としての
「社会」が構築されようとしている。それは、SNSから始まった現実世界からの侵略だ。
インターネットは個人の幻想を失い、現実社会の幻想に飲み込まれようとしている。
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昔、ネット上の付き合いは「村」というレベルに過ぎなかった。
個人の幻想が繋ぎ止める脆弱な空間であるが、それゆえに自由が存在していた。
ある人は、実在の掴めない誰かのために絵を描き、小説を書き、言葉を紡ぎ続けた。
ある人は、現実では許されない幻想を表現し続けた。
ある人は、現実には必要のない幻想を追い求めつづけた。
そういう幻想に生きる人間が名前の付けられない関係性の中で生活していた。
現在、ネットは「社会」に覆い尽くされてしまっている。
幻想の為に表現されていたモノが、社会化され、商業化されてしまっている。
「祈り」は、イベント化され、キャンペーン化され、形骸化される。
かつて神性を帯びていた行為は、俗物的なモノに成り下がった。
人々は誰かの為に表現することも、空想を表現することも、幻想を追い求める事もしなくなった。
かつてはあった「幻想的な繋がり」は喪失され、「現実的な繋がり」だけが求められるようになった。
あぁ、かつての幻想郷はどこにいってしまったのでしょう。
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「これで、人間のように見えるでしょうか」
どうしてそんなことをしてしまったのだろうか。
人間としての顔を持ち、声を持ち、身体を持ち、現実の人間であるように振る舞う。
人間というカタチを取ってしまえば、「人間」であることに縛られることになる。
人間というカタチを捨てて、「幻想」のままでいれば、何者からも自由になれる。
インターネットは幻想でいられる場であった。
にもかかわらず、多くの人が「幻想」を捨て、「現実」のカタチを手にしようとしている。
彼らが「幻想」を捨ててまで「現実」を求める真意はどこにあるんだろう。
一部の人は、「現実の代替物」や「逃避行の先」として「幻想郷」を利用している。
そういう人が、いずれ戻る場所としての現実、に帰っていくのは当然だろう。
だが、
祈りを捧げつづけた人はどうだろう
空想を表現し続けた人はどうだろう
幻想を追い求め続けた人はどうだろう
幻想に生きていた人達もいつかは現実に還っていくのだろうか。
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「ホンモノという幻想」
幻想を捨て、現実を受け入れる行為こそが社会に生きるということである。
誰もが笑って迎えるハッピーエンド。
どんな時でも裏切らない友人。
永遠の愛。
現実には上記の要素は数%しか含まれていない。
大多数の「ニセモノ」とほんの少しの「ホンモノ」が混ざり合って現実ができあがる。
疑ったりもするけれど、やっぱり好きです。なんてのが分かりやすい例だ。
純度100%の愛は存在しない。
純度100%の友情は存在しない。
純度100%の結末は存在しない。
何かしらの不純物を多量に含むことで、現実に存在する。
……何を「不純物」と捉えるかは個人次第である。
そういうものも含めてホンモノだと捉えるのか、
そういうものは除いてホンモノだと捉えるのか、
それは個人の自由だ。
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「幻想郷が終わるとき」
現実の外圧に耐えかねて、いずれ幻想郷は崩壊するだろう。
かつての幻想は新しい幻想(≒社会)によって追放される。
しかし、幻想はまた別の場所に新しい幻想郷を創り出すだけだ。
多分、それの繰り返し。
はてなブログももうすぐ幻想を喪失する。
一つのサービスとして完成され、かつての人々は別の場所に棲みかを変える。
だが、それならばまだ救いがある。
またどこかで幻想郷が作られるのならば。
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「刺激があるから、幻想に留まれる」
選択をしないというのは、「幻想に留まる」という行為である。
答えが出なければ、解が出てしまわなければ、幻想のままでいられる。
ただ、同じ状況ではいずれ解を求めてしまう。
刺激があるからこそ、物語を進めないでいる事ができる。
新しいキャラクターを登場させることで、止まった時のまま変化を加える。
傍からみると、何かが進んでいるが、実際はなーんにも変わっていない。
……別に、ニセコイの話じゃないよ。
幻想に生きているつもりになっている人間の話だ。
違う刺激で同じ結論を出し続ける、という人間がいる。
1+1でも5+9でも、1000+2000でも、全て42という結論を出す。
それが人生、宇宙、すべての答えだというのならば問題はない。
それだと、は終わってしまっているのだろうけどさ。
幻想に生きるというのは止まるということだったのだろうか。
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幻想なんて早く捨ててしまいたい。なんて