読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

終わらない青春に花束を

在り方

大人になれない私達に捧ぐ

◆モノローグ
大人になることに疑問を持つ、というのは幸福なことなんだろう。
もし、生きることに困窮しているとしたら大人になることに疑問は持たない。
というよりも、大人という肩書きに拘泥している私達が変な人間であると思うのだろうな。

そう、世界的にみたら「大人になることに疑問を持てる」というのは幸福な事だ。

個人にとってどれほどの難題であっても世界からしたら些末な問題でしかない。
大多数の不幸の前では個人の不幸は霞んで消える。

だからこそ、私は大人になれない私達に言葉を紡ごう。

◆大人になれない私達
この世の総てはグラデーションで、大人と子供の境界なんて存在していない。
だから、「大人になる」というのは正しくはない。

正確に言うならば、「大人に近づく」となるだろう。

「自分という子供」を大人に近づける行為。
そのために、必要な事は何だろうか。

◆大人になる―社会的意義―
大人になることの社会的な意味は多分みんな分かっている。

例えば、大人になれば金銭的な自由を得られるとか。
例えば、大人になれば大きな仕事に取り組めるとか。
例えば、大人になればえっちなことだってできるとか。
例えば、大人になれば家族を持てるようになるとか。
(「お世話になった社会や両親への恩返し」みたいなのも入って来るのだろうか。)

端的に言えば、「子供ではできないことができる」ということになるだろう。

まぁ、そういう表層的な意味はどうでもいいんです。ぶっちゃけると。

誰だって、大人になるメリットは理解できる。
それを理解した上で、その選択を取らない(取れない)のは何故か。
それは、他の選択肢の方が魅力的だからだ。

その先にある輝きを信じられないのではなく、背後にある輝きが忘れられないから。

大人になれない私たちは過去に縛られている。

◆人生の幸福
人間の幸福は「モラトリアム期」にあると私は思っている。
必要以上に働く必要は無く、責任を求められることは無く、面倒なこともない。
ただ、好きなものだけを追い続けていられる、そんな素敵な時間。

現在の私はあの時間を取り戻すために生きている。
「経済的自由」を獲得しようとするのもその一つだ。
経済的に自由になれたなら、時間もお金も望むように使うことができる。
幻想だけを追い続ける事ができる。

多分、少なくない人数が同じように考えているのだと思う。

「学生時代への回帰」を。
仕事も、責任も、社会も、経済も、全てから解放されたあの時間への回帰を。

やり直したいわけじゃない。
ただ、あの時間に戻りたいだけ。
好きなことだけを追い求め、サークル活動にいそしみ、好きな研究を進められたあの時に。

けど、それは不思議なことじゃない、と思う。
自分が幸福を感じられる場所と時間に居られるというのは幸せな事だから。
だから、この感情は普通で、一般的で、当たり前なモノ。


けれど、大人になれない私達の場合は別だ。
「想い出」として、モラトリアム期を求めているわけではないから。
私達が求めているのは『過去にあったかもしれないもしも』だ。

現実にあった「楽しさ」ではなく
空想にあった「楽しさ」でしかない。

無限の広がりを見せる「虚」の楽しさに、細く小さな未来の楽しさは塗りつぶされる。

私達の時計はどこかで止まったままなんだ。

◆止まった人間の末路
止まっている人間は社会に出てから苦労をする。
子どものまま止まった時計が社会人になることで強制的に動かされるのだから。
モラトリアム期から少しずつ社会に適応していった彼らと違い、突然の適応が求められる。
10何歳かの子供が突然社会人として行動しろ、と言われているようなものだ。
そんな私たちは社会不適応者として処理される。
そうだな、よく言われるアレだよ。

「学生時代に何を学んできたのか」

まさにそういうことだ。


その上、現在では救いがない。
実力主義」「成果主義」の名の下に、無能は若い労働力により切り捨てられる。
歯車になることさえ許されずに、社会から見放される。

止まった人間の末路なんてそんなものだ。


◆―――
いったいどこで間違ってしまったのだろうか……

学生時代に「幻想」を追い求めたことが悪かったのか?
「知識」の最果てを手にしたいと思ったのが駄目なのか?
「楽しさ」に浸ったことが「悪」だというのか?

私はどこを正せば未来へ進めるというのか


◆私達は過去の中
結論から先に言おう。
私達の罪は「あったかもしれない未来」に縋っていることにある。

卒業を通して、私達は学生時代に終わりを告げた。
他の人からすれば、それで学生時代は終わったのだと思えるだろう。
けれど、私達の青春は完結を得られないままそこに在り続けている。

初恋はキチンと結末を迎えたか?
伝えたい言葉を届ける事はできたか?
やりたかったことの結果はどうなった?
夢はどうなった?


……そんな後悔が青春の中に取り残されている。
そう、私達の背後にあるのは「後悔」だけで、「想い出」ではない。
行動に移した結果ならいつか「想い出」にすることができる。
「想い出」にして過去にすることができる。

つまり、私達は未だ過去の中にいる。
過去を「想い出」にできないまま抱え込んでいる。
だから、前に進めない。
時間は進まない。

◆終わらない青春に花束を
過去の空想を現在の現実にして、想い出へと昇華させる。

私達に欠けているのは「想い出」だ。
空想が空想のまま体の中に残り続けていては、現実が入る余地がない。
空想を現実に、そして想い出にしてしまうこと。
そうしなければ、終わらない青春に自身が押しつぶされてしまうから。