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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

身に覚えがありすぎる“読書家”あるある バーナード嬢曰く。②

もっと読書に自由を!
身に覚えがありすぎる”読書家あるある”が各雑誌・WEBで、大反響&大叫喚!!
施川ユウキが描く”名著礼賛ギャグ”待望の続刊!

バーナード嬢曰く。

いつの間にか、続刊されていたんですね。

いやー、知らなかったなー。
昔から読んでたけど知らなかったなー。
一巻は初版で買ってたけど知らなかったなー。


……まだちょっと読書家レベルが足りないみたいです。
ド嬢ならもっと上手く「通」な話し方をしてくれるでしょう。

凝り固まった”読書家像”を持つ人にこそ読んでほしい作品。

以下感想
面倒な人は、最後の一言感想をお読みください。

表紙が黒い本

神林ってさ……表紙が黒い本おしゃれだと思ってるよね?

SFにはそういう本が多いのだから仕方がないのです。

ぼくらは都市を愛していた

ぼくらは都市を愛していた

ぼくらは都市を愛していた

テキスト9
テキスト9

テキスト9

ニルヤの島
ニルヤの島

ニルヤの島

屍者の帝国
屍者の帝国

屍者の帝国

机から本棚を眺めてみても、次々と表紙が黒い本が見つかる。
日本SFコーナーでこれなのだから、海外小説を含めるともっと増えてくるのだろうな。

「これで、読書家のように見えるでしょうか」なんて。

伊藤計劃

本屋でラノベっぽい表紙になった
虐殺器官』『ハーモニー』をみてガッカリしつつも
「でも そもそも文庫化する前の単行本の時
キャラクターが表紙だったから
戻っているともともいえるんだよな…!」と
謎のフォローをして負の感情を宥めている表情

中身は同じであるはずだから問題はないというのに、
なぜか腑に落ちない感情に苛まれる。

面倒くさい人間だ、と思われるのだろうな。

参照 【ハーモニー】
単行本
ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
文庫本
ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)
ラノベ調文庫本
ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官

誰だって読書家だ

この作品には様々な読書家が現れる。

読書家ぶりたい読書家。(バーナード嬢)
一昔前に流行った本を読む読書家。(遠藤さん)
シャーロキアン読書家。(長谷川スミカ)
SFオタクな読書家。(神林しおり)


彼ら、彼女らは皆読書家であることは間違いない。
では、”本当の読書家”は誰であるのだろうか。

もちろんのことながら、「正解」は存在していない。

本のすべてを理解することが読書家の条件か?
そのジャンルの本をすべて理解していることが条件か?
新訳・旧訳ともに理解していることが条件か?
単行本と文庫本の両方を持っていることが条件か?


……それらはすべて正解であり、間違いである。
「こういう風に本と接していなければ読書家ではない」という定義は存在しない。
(『SFを語るなら1000冊』といった社会的な定義はあるが)


ただあるのは、「どういう風に本と接するのか」という心持ちの問題である。

作者まで踏み入ることを読書とするのか。
濃厚で価値のある読書体験をしてこそ読書とするのか。
他人に話せるようになることを読書とするのか。


……その基準は人それぞれ異なってくる。
だから我々は他人に対して「あなたは読書家ではない」ということはできない。
ただいえるのは、「私とあなたは違う読書をしている」ということだけだ。

だからこそ、他人の読書話を聞くのは楽しかったりするんだけどさ。

読書家は総じて面倒くさい

上でつらつらと文章を書いたが、共通するところも一つあると思っている。
それが「読書家は総じて面倒くさい」である。

何かしらの基準を持つというとことは、その点において他人に理解され難いということである。

表紙が違うことに違和感を感じてしまったり
一昔前の流行本を読むタイミングで悩んでみたり
そもそもの読み方で悩んでみたり

……傍から見ると「面倒くさい」ところがあるのが読書家である。
自分では気が付いていない「読書家」としての面倒くささ、それがこの本には詰まっている。
だからこそ、こんなにも共感してしまう人がいるのでしょう。

一言感想

「読書家あるある」がいい感じに刺さり、凝り固まった"読書家像"を解す作品。