huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

僕らの記憶は残酷で――

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忘れないで
おぼえていて
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半年の内に世相は変わった。
およそ2000時間の想い出を、僕らは忘却の彼方に追いやり、
新たな面影を胸に宿してしまっている。



僕らの記憶は残酷で



僕らは薄情な生き物である。

およそ2000時間の間一緒にいた彼女たちを、24時間もたたないうちに忘れてしまえる。
24時間もたたないうちに新しい彼女たちを愛し始める。

ツイッターを見てみるとそのことがよくわかる。
「ぞいぞい」言っていた人は「めうめう」いうようになす。
「のんのん」言っていた人は「ぴょんぴょん」しだす。
「デスデス」言っていた人は「なのです」と言い出す。

他にもあるだろうが、似たようなものだ。
今の人間の大半は「天使ちゃん」なんて言われるまで思い出せない。
今の人間の大半は「××なので」と言われても思い出せない。

僕らは人間を忘れてしまえる。


彼女たちが日常になってしまったのか

鮮度が落ちれば
味が落ちるように
経験を積めば新鮮さは
失われ つまらないと
感じるようになる
ーー生徒会の一存

それは、彼女たちが何度も投げかけてきた問いだ。


「君だけが私を私としてみてくれた」

僕らは「アニメ」に慣れてしまった。
蓄積された経験が「彼女たち」を「フレームワーク」に閉じ込める。
逢坂大河を「ツンデレ」と認識し、デレマスを「アイドルマスター」と認識するようになった。
プラスティックメモリーズを「SF」と捉え、彼女たちを「アニメ」として捉えるようになった。

いつからか、僕らは「アニメ」を観るようになってしまったんだ。

ドラえもんだから」「とらドラだから」ではなくて、
「アニメだから」観るようになっている。

「アニメ」を見るようになったらおしまいだぜ。



経験は悪か

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彼女が81920時間しか生きられないのだとしたら、
私もまた81920時間で終わってしまったほうがいいのではないか。
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新しく現れる彼女たちを「新鮮な」気持ちで迎えるためには、
僕らは彼女を忘れ去り、新しい彼女のための場所を作ってあげなくてはいけない。

シャナを忘れることで、ルイズを受け入れられるようになる。
ルイズを忘れることで、大河を受け入れられるようになる。
大河を忘れることで、伊織を受け入れられるようになる。


僕らは忘れることでしか、彼女たちを受け入れられない。
そして、新しい面影を灯してしまうということは、彼女を忘れてしまうということだ。
何かと出会うたびに彼女が私から遠ざかっていく。

もしそうだとしたら、死んでしまったほうがいいんじゃないか?
生きている限り「出会い」からは逃れることはできなくて、
僕らは必ず別の面影を心に宿してしまう。

永遠に至る病

僕らの記憶は残酷なもので、
彼女たちを「永遠」に押し上げる方法は存在しない。

彼女たちは勝手に私の中に入り込み「永遠」となる。

言葉は回路を駆け巡り、自己増殖する。
言葉の原動力は人の心であり知恵である。
私を使って言葉は回路を増築し、強化する。
――huzai 過去記事

目の前にいる彼女たちを捉えてあげられれば、
僕らは彼女たちを永遠にすることができる。

認識することによって、彼女たちが僕らの体に回路を作る。
そしてその回路がふとした拍子に動き出し、彼女の姿を感じられる。
永遠ってそういうことじゃないかと今は思っている。