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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

コンテンツを観る『軸』を持つ

いつまで地に足をつけないでコンテンツを観ているのか。
そんなふうだからいつまでたっても「感想」が言えないのだよ。
どうでもいいことしか覚えられないあなたに捧げる。

※今回の文章は以下の派生です。(リンク先は読まなくても問題ないです)
huzai.hatenablog.com

多様化した鑑賞方法

インターネットを検索すると、
コンテンツにはいろいろな楽しみ方があるのだと気づかされる。

クソみたいな脚本でもキャラクターがかわいいとか、
内容はつまらないが、やりたいことは面白そうであったとか、
この監督はまた同じようなことをやってるよ、とか
男根のメタファーだったんだよ、とか、
この動かし方って、あのアニメに似てるなーとか。

「謎解き」「作画」「監督」「声優」「感情」「メタ視点」……

作品の内側から外側まで幅広い楽しみ方がある。
実際の私たちはそれを無意識のうちに組み合わせながら「観ている」。

最近ブログに書いていたドロップフレームなんてそのいい例だ。
全体を貫いている「謎」を楽しむ場合もあれば、
彼ら彼女らのラブコメディーを楽しむシーンだってある。
映画を作るという行為そのものへの興味を持たされたり、
彼ら彼女らの表情にドキッとさせられることもある。

僕らは何かを観ているとき、
無意識のうちに視点を動かしながらコンテンツを楽しんでいる。

軸を持つ

無意識に身をゆだねてコンテンツを楽しむのもよいが、
最近は「軸」持ってコンテンツを楽しむ方がよいのではないかとも考えている。

「軸」は始めから設定しても、後から設定してもいい。
この作品は「謎」がすごいらしいから「謎解き」を頑張ろうとか、
作画がすごいらしいから「キャラクターの映し方」に注目しようとか、
彼女の涙のわけを知りたいから、「彼女」に注目しようとか。


私の具体的な例を出すなら、プラスティックメモリーズがいいだろう。

私は【「ギフティア」と「ヒト」の関係】という軸を設定した。
今思えば、随分とゆるい軸だが、これくらいでも十分な効果はある。

一番大きな効果は、その軸が作品を貫いてくれることだ。
軸が作品を貫くことは、我々に作品全体を観る視点を与えてくれる。
そしてその視点が、「いい作品か」「つまらない作品か」を教えてくれる。

私が設定した軸によれば、この作品は「もったいない作品」である。
面白かった小説がアニメ化の際に、端折られて味気なくなったあの感覚。
この作品は「彼と彼女の物語」でしかなくて、
外側の関係性がまったく生かされていない。

もし軸を持っていなければ、
「彼と彼女の物語としては、まぁいいんじゃないか」とかで終わってしまうだろう。
何故なら、この作品が「良い」か「悪いか」判断する「軸」を持っていないから。



……とまぁ、こんな風に軸を持っていると作品に対する意見が持てるようになるわけ。

ただ、無意識のままに観ているだけでは、
飛びつきやすい事象しか覚えていない、なんてことになりかねない。

「ガラスが割れてたよめぐねぇ」「なんかすごいビーム打ってた」「本田未央はやめようか」みたいな。

揚げ足取りというか、どうでもいいところというか、そういうのしか覚えられなくなる。
それってとっても悲しいこと。

「軸を持って観る」ことで、そういうことも減らせると思いますよ。




無意識の醸成(欄外)

先ほど書いた「軸」の話は、普通の人には不必要な話である。
というのも、これまで蓄積してきた経験から
「普通は」そういう視点が生まれているはずだからだ。

俳優や声優が作品のキャラクターについて饒舌になるように。
絵描きの人がアニメの作画について目が行ってしまうように。
映画好きな人がカメラワークや視点の使い方を気にするように。

不器用な人間はそういう普通の人が持っている「軸」を持っていない。
だから、わざわざ自分で「軸」を用意して観ていく必要がある。

そうすることで、いつか無意識に観ることができるようになるから。