当てもない一年を迎えた一日目のこと
「節目」というものは便利なもので、
多くの人がこの機会に過去をなかったことにして、
新しい物事に取り組み始めたりするものである。
その例に漏れず私も新しく取り組み始めようと思うのである。
こんな風にブログを書いているのがそのいい例だ。
自分の過去から目をそらし
当てもない未来に目を向ける
大丈夫、みんなそんなものだろうから。
他人を見つける/外壁の構築
過去の私が再三にわたって言い続けている内容である。
現実世界に他人を作れないなら、仮想世界に他人を作るしかない。
悲しいことか、幸いなことか私には他人が存在していない。
今一度「他人」を定義するならば「私と対峙する人間」である。
大抵の物事を避けてきた人間に他人は存在しえない。
他人を避け、表現を避け、世間を避け、自分を避けるような人間が
誰かと向き合っていられるわけがないというやつだ。
自分というやつを認めているからこそ、
その対面として他人が存在することができる。
具体策としては、外部が認識する私の構築だろうか。
だれかが認識する「わたしらしさ」が生まれるころには
私が向き合っているような他人も存在しているのではないかと思う。
自分の内側以外で楽しもうと思ったならば、どうしても外側は必要なんだ。
その外側は「コミュ力」で作ってもいいし、「創作」で作ってもいいし、「技術」で作ってもいい。
他人が私に求めるものが生まれれば、それが「わたしらしさ」となり他人の発生につながる。
そんなふうにしていきたい。
一度に物語を手に入れる方法の模索
物語とは何度も繰り返し読むものであるが、
その物語と出会えるのは、その言葉と出会えるのは一度しかない。
どこぞの生徒会長も言っていたように、「はじめて」というやつは大切にしなくてはいけないのだ。
ただ世の中ままならないもので、
読者の経験不足や感性の未熟さ、集中力のなさや記憶力の弱さなどの理由で、
その一度きりの出会いをひどくぞんざいに扱ってしまうことも少なくない。
なんども読んで理解するというのもいいが、
殊物語においては、一度でその出会いをものにしたい。
少なくとも、読者の側でどうにかできる出会いについては。
そのためには、三つの工程が必要であると考えている。
①ベース能力の上昇(鑑賞に堪えうる肉体の構築)
自分自身の肉体を頭脳を脳を向上させる。
記憶できなければ、認識できなければ、物語は破綻する。
物語に対して私がしてあげられる唯一のことだ。
②良質な経験値の蓄積
その人を上へと押し上げてくれる物語やその人をその場にとどめてしまう物語、
物語にはいろいろあるけれど、残念なことに物語には差異がある。
その「差」というやつは「個人差」というものにすぎない。
個人のこれまでの経験や今の状況によって、物語の価値が変わってくる。
ある人にはクソ以下の価値しか感じられない物語に、世界を変えさせられることもある。
だから私も様々な物語に触れていくことが必要なのだろう。
それは小説かもしれないし、映画かもしれないし、ゲームかもしれない。
とりあえずは、今宙ぶらりんになっている「地霊殿」をどうにかすることから始めよう。
あとは、安売りで買ったギャルゲーパック?的なやつをやったり、積本状態のテキスト9を読んだり、
後は今度こそ千早をトップアイドルにすることだろうか。
今年は新しいコンテンツに十分な時間と金を振っていく。
③良質な経験値の加工
経験値(エクセリア)を神の恩恵(ファルナ)で更新することでベルくんが熟練度を上昇させるように、
我々もまた現実世界や仮想世界で得た経験値を自分で加工することで、熟練度を上げなくてはいけない。
私はこのことに気が付くのに随分と時間がかかってしまった。
経験というやつは「思い出す」「復習する」して加工することによって、自分のものにすることができる。
現場から得てきた「生の経験値」の一部は身体に吸収されるが、加工しなければ蒸発していってしまう。
現状、習熟度を高める方法としてはブログを取っているが、
物足りないと思ってきた場合は別の方法を取る必要があるのだろうと思っている。
そうなったときのことはそうなったときに考えたい。
そんなふうなことに取り組むことで、
一度きりの出会いを大切なものにしたいのである。
対外的な活動について
小説は何かしら書いてみてどこかに投稿するつもりである。
えっちいのになるのか、ただの二次創作になるのかはまだ未定だが、
なにかしら書いてみたいとは思っているので、それをやる。
新しい活動としては、イラストをどうにかブログに取り入れたいと思っている。
昨年7月よりちまちまと練習し始めてようやく模写らしきものができるようになってきた。
これが上手くいけば、ブログが文章とイラストのハイブリッドしたギャルゲー式ブログ
のようなものができるかもしれないと思っている。
これについては日々精進あるのみである。
あとは他人ができたらやりたいことはいろいろと考えているが、
それはまぁ、他人ができたときにでも文章にしてみたいものだ。
終わりに
とまぁ、当てもない一年に対して私なりに方向性を与えてみた。
これで多少は当てのある一年が送っていけるのではないだろうか。
より楽しい一年がおくれますように。