××っていう名前の亡霊さんに囚われて
過去って名前の亡霊さんに支えられてるみんなの現在(イマ)
現在(イマ)があるから未来がある
過去は未来への始まり
亡霊さんが成仏したら未来への糧ってやつになるのかしらね
――機動戦艦ナデシコ 第22話 「来訪者」を守り抜け?
現在を正当に評価できるのは未来の自分だけだ、なんて言葉がある。
その瞬間は悪いことだと思っても、実はその経験が未来に生きていることがあったりして、
時間が経ってみないとその時の自分の行動が正しかったのか、悪かったのかはわからない。
言ってしまえば、未来が見えないのだから現在の行動が正しいのか悪いのかなんて判断しようもない。
だからその時々の評価でその行動は善であったと、あるいは悪であったと決めつけるのである。
まぁ、そういう考え方を本当にしている人間がいるとすればそれは、
「あの時のチャレンジ(失敗)があったから私は圧倒的な成長ができたのだ」なんて考える意識が高い人だけだ。
それもそのはずで、過去の私を悪だと断じ切ってしまえば、過去から連なる現在の私までも悪になる。
つまり、先の言葉は現在の自分を正当化するためだけに存在している。
過去と現在をつなげて考えているからこそ、人は現在のために過去を正当化する。
それが「圧倒的成長」につながっているのならばいいが、
「袋小路」につながっていたりするから過去というのはやっかいなのである。
今回はそんな「過去っていう名の袋小路」の一つである「経験」がテーマである。
◆
経験に縛り付けられた人間は全ての答えが一つになる。
「全は一、一は全」といえば聞こえがいいが、自分の経験と重なっている部分しか見えていないということである。
認識こそが世界であるという話があるように、当人にとっては重なった部分だけが世界の全てだということである。
そして、当人はそのことに気が付くことはできない。一人よがりに問い続けるだけだ。
何故そんなことが起こってしまうのかというと、「楽だから」の一言につきる。
「新しい」ということは「現在の私にはない」ということであり、新たにそれを受け入れる必要が出てくる。
私にはないものを私の中に取り入れるという行為には少なからず労力を伴う。
「経験と重なっている部分」を受けいれるのとは異なって。
自分の経験にない「新しい存在」は我々に「変革」を求める
転校生という存在が彼と彼女の関係性を壊してしまうように
奇妙な生物との出会いが魔法少女を生み出すように
王子様との出会いが私を王子様へと導いたように・・・・・・
そういう「新しさ」を受け入れることができず、
自己の経験しか受け入れられないととてもつまらない人間になる。
周囲の変化に取り残されて現状を維持し続けるだけの人間が面白いと思われるだろうか。
変わることのできない過去っていう亡霊さんは早く成仏してください。
◆
・・・・・・冒頭に話を戻すとしよう。
「現在を正当に評価できるのは未来の自分だけだ」
それが事実だとすると「新しさ」を受け入れることも、「経験」に囚われることも
どちらも正しく、どちらも間違っているということができるだろう。
何故なら未来の自分しかその正当性を判断できないならば我々が考えても詮無き話だ。
もし前段の話を受け入れて「変化し続けた」としてもそれが幸福につながるかはわからない。
「変わらないほうがよかった」なんてことも結構あったりするのでままならないわけだ。
つまるところ、今回の記事は最初の前提から間違っていたわけである。
現在(イマ)が「圧倒的成長の過程」なのか「袋小路の最中」なのかは未来でなければわからない。
だから上記の文章に意味はないのである。
◆
本題
「過去っていう名前の亡霊さんに囚われないために」
「未来っていう名前の亡霊さんに囚われないために」
現在は過去と未来の境界線上にあって、
過去と未来のどちらともつながりを持っており、
そのどちらにも影響を与えられる唯一の場所である。
かつて風祭が「嘘をホントにしちゃえばいいんだ」みたいなことをいっていたが、
現在の行動次第で過去が持っていた意味を変えてしまうことさえも可能なのである。
そしてそれは未来に対しても同じである。
そのことを自覚したうえで「現在」を考える必要がある。
そしてその時に意識すべきは、「現在の私が正しいと判断すること」であるかどうかだ。
現在から過去と未来を見つめ、その上で自身の在り方を決定する。
そうすることでしか我々は私自身を救うことはできないのだ。
・・・・・・END?
◆
一人でいる時間が多いほど、人間の思考は一つの方向へ偏ってしまう。
自分ではバラエティに富んでいるようにみえても、
自分では違うことを考えているようにみえても、
その根底では同じことを考えていたりする。
その原因は「言葉」にある。
一人の人間が出せる言葉は一人分の言葉だけである。
そして一人である限り、その言葉が自身の認知を超えて観測されることはない。
繰り返される言葉が現実をそちら寄りに歪めるように、
言葉が自身の内を駆け巡り、思考をそちら寄りに歪めてしまう。
歪められた思考の回路には、何を入れたところで一つの答えしか返ってこない。
使われなくなった他の回路は収縮してしまい、再び回路を通すのは困難となる。
これが「思考停止」へとつながっていく。
使い慣れた回路だけが活性化し、その回路だけで思考を回すようになる。
そうなってしまえば大抵の人間は「つまらない存在」へと変貌する。
不変を愛せるほど人間は陽気ではない。
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