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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

ドロップフレーム3 疑問点メモ書き

コンテンツ

この作品は実にうまいこと出来ているらしい。
かつての私は「漫画ではない方がよい」なんてことを口走っていたようだが、
その言葉は撤回されるべきであると、今は思う。

一つ一つの巻で常人が辿りつける場所が決定されており、
その次の巻ではそこを起点にした謎が展開されるようになっている。
謎を解いているはずがどんどんとその深みにハマっていく。

第一の到達点は
『実際の日時と彼の体感している日時は異なっている』だ。
それが第一巻では示されていた。

第二の到達点は
『刻鐘閏之介は時間跳躍をしている』だ。
それが第二巻で示されていた。

この二つの到達点の先にあるのが、
この第3巻。

一つずつ明かされるこの世界のルール
その先で彼と彼女は幸せに到達できるのだろうか?

以下バラバラとメモ。

なかったことにされるのは僕たちだった。

「ドロップフレーム」っていって、1秒にするには余分なフレームがあって
だからそのぶんははみ出して「落とす」…つまり、「なかったことにする」んだよ!
――刻鐘閏之介 ドロップフレーム第一巻

本当は存在しないこの日に生まれた人間は・・・
「観測者」がいないと『消えやすい』
これは・・・記憶だけの話では・・・ないぞ・・・
―forgotten Karl ドロップフレーム第三巻

存在しない時間に生まれてしまった彼ら彼女らは、
この世界から無かったことにされてしまう。
それだからこその「そんなことはさせません!」なんてるうが言っていたのだろう。

この漫画の到達点

それは"ひまわり"を手に入れることだろう。
そしてそれは"映画"を作るということなのだと私は考える。
映画という表現は"私はここにいる"という存在証明にはつながらないだろうか?
Forgotten Karlのひまわりと同じだ。

如月閏子は死を持ってそのことを我々に示してくれた。

オーバーラップ

一見すると意味もないような断片たちが
物語を語る上で不可欠な要素となっていることに
見ている方は自然と気づかされていくんだよね。
――閏之介

第二巻でも引用した言葉であるが、
この作品にはこの作品には無駄がない、と思っている。
とすると、第一巻で現れた笑みを浮かべる「るう」はOLなのかと推測される。
(その場合第一巻の1ページ目は8月1日ではなくなるが、閏之介のメモと矛盾する。
 観測者の不在≒夏休みの始まり、からフィルムはバラバラになると考えられるからだ)

色々と見返す必要が出てきますよね。

この映画の監督は・・・・・・

誰なんでしょうね?

Scean1

冒頭のセリフがとても意味深長に聞こえてきませんか?
既に死んでいる人間(るう)を閏之介が刺すという行為を演じさせるなんてさ。

バラバラになる理由

『オーバーラップを第三者に観測されること』と仮定する。
もしそうだと仮定すれば、如月閏子の件も納得できたりしないだろうか?
ここまで仕掛けを盛りだくさんにしておいて、第三者による行為だなんてことにはならないだろう。
この仮定ならば「当日にOLした如月閏子を閏之介が観測した」からバラバラになったのだとすることができる。

あるいは第四のルール「ドロップフレーム」でも出てくるのだろうか?

行き着く先は

一歩一歩
歩んでる間は
わからないけど
きっといつか
完成した姿に
あえるんじゃないかな
「ああ
このための今だったんだ」って
思える日が
――閏之介