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huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

2016年の清算【思考】-幸いを得るということ。

過去はそこに在る

人は時間を得ることで初めて過去を振り返ることができる。
繰り返し再現された出来事だけが当人の把握している「過去」として記憶されるため、
再現されることのなかった出来事は「無かったこと」になってしまうのである。

例えば、私が『アイラ』という存在を今でも忘れないでいる。
それはその後に続く「ほしのゆめみ」や「ふらわ」という存在がいたからだと思っている。
壊れてゆくことを自覚した「彼女達」は私の中に眠る『アイラ』を再現させた。
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だから、私はアイラを覚えている。

それ以外の『プラスティックメモリーズ』という作品については
曖昧に記憶してしまっている箇所が多く存在している。

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もちろんその作品自体を観なおすことや
過去の自分が書いた感想などを読み直すことで
より正確に『プラスティックメモリーズ』という作品を再現することができるだろう。


・・・・・・つまり、こういうことだ。
過去は依然としてそこにあるが、我々はそのすべてを記憶しておくことはできない。
だが、多少の時間をかけることでそれらを個人の内側に再現することは可能なのだ。


そうして人は「過去」を確かなものとすることができる。
そうして人は「想い出」を作り上げる。


――終わりゆく一年を見つめなおそう。
過去を想い出にするために。


前段

私がこの一年掲げていた問いの一つが「幸いを得る」ということだ。
これ自体はおそらく2015年以前から書いていた問いであるが、
2016年という節目を機に、この問いに区切りをつける。

この他にも2016年の振り返りとしていくつかの問いを用意している。
それらの問いに区切りをつけることで私のブログにも区切りをつけよう。

【思考】幸いを得るということ

私は人生における最大の目標を【幸いを得ること】であると考えている。
そしてそれ故に私はそのテーマについていくつか書いてきたと実感している。


例えば、F5幸福論に代表される【停止を通じた幸い】である。
F5幸福論 - huzai’s blog
維持は退化だ、退化は死だ。 - huzai’s blog
"考えていない"なんてことを"考える"。 - huzai’s blog

上記の文章で書かれた【幸いを得る】についての記述をまとめると、こうだ。

自身に対して負荷をかけることなく幸いを得ようとする行為自体は否定されるものではない。
もし仮に、いくらかの労力を払うことなく幸いを得ることができるのならば、それが一番望ましい。
だが、私の身の回りにある【負荷をかけずに得られる幸い】は永続性を持たない。


「既存の思考(趣向)をなぞるだけの鑑賞」「過去の礼讃」「平易な行為による承認」
『自分ができること』だけに目を向けてそれを行い続ける行為。

卵の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。
――少女革命ウテナ

『自身をまもること』だけに焦点を当て、それ以外を失う行為。

だがそんな貴様にもひとつだけ取り柄がある。
自分に嘘をつくことが上手いことだ。
その嘘は一生つき続けるしかあるまい。
脆弱な心を守るためにな。
――ユーザー罵倒

・・・・・・そんな行為は長く続けることはできない。
それだけで自分をだまし続けることはできない。

もちろんそういう行為が必要になるときはあるのだ。
以下に記載した「社畜の時間活用術」がまさにそれである。
社畜の時間活用術 - huzai’s blog

だけど――――それでは幸いを得ることができない。

「・・・・・・それじゃあ悩みは解決しないし、誰も救われないじゃない」
――雪ノ下雪乃

・・・・・・今は楽でも、絶対、後で悔やむから・・・・・・
後悔はしたくないもん・・・・・・
――珠瀬壬姫

「後悔することで、物事が解決するなら、そうすればいい。
悩んでうじうじやってるだけで気分が晴れるなら、そうしてればいい。
それじゃダメだってことぐらいわかってる。」
――白銀武

だからこそ、幸いを求めるのであればこれらの行為は否定しなければならない。
現状に対して何かしらの負荷をかけてでも「幸い」を求めなければならない。

そのためには「場所」が必要なのである。
自分に対して負荷をかけてもよいと思える「本気になれる場所」が必要なのだ。

それについて触れたのが以下の記事である。
ぼっちは世界を変えたがる - huzai’s blog

私たちの過去には「家庭を持つこと」「仕事で大成すること」「車を持つこと」といったような
社会規範にもにた【幸福のレール】というものが存在しており、多くの人がそのレールに乗っていた。

しかし、現在ではレールに対する不信感が高まり、幸いを見失ってしまっている。
「仕事をすることが幸せ」とはならなくなった。「家庭を持つことが幸せ」とはならなくなった。

それゆえに「個性」なるものが取りざたされ、社会に全身を預けることなく個人に立ち返る考えが再興した。

世相は変わった。
社会が認める「本気になれる場所」ではなく、個人が認める「本気になれる場所」への変化。
社会に身を委ねることで「幸いを得る」ことのできる人間は少数となった。

ゆえに人は個性を求めるようになったのだ。
そうすることでしか「幸い」を得られないから。

堕落論




――積み上げた過去をベースに次へ進もう。

【停止から得られる幸福】では幸福には至れない。
負荷をかけてもよいと思える、そんな【本気になれる場所】が『幸い』には必要である。
そしてそれは社会ではなく【自身が認める本気になれる場所】でなくてはならない。


では、そんな場所はどこで見つけることができるのか。


その答えは二通りに分かれる。

一つは、本気になることから逃げてきた人間に対する答えだ。

どうせ、すぐにだめになるんだって思ってれば、つらくなかったから
そうやって、だんだん、悔しい気持ち忘れていったんだね……
逃げればそれで済むって……いつから思うようになってたのかって……
逃げるってことを本当にやっちゃって……初めて気づいたから……
心はいつも逃げてたんだって……きづいちゃったから……
――珠瀬 壬姫

逃げてきた人間は、今一度本気になることでしか
【本気になれる場所】を見つけ出すことはできない。

水上秋が主人公と真剣勝負をすることで自分の気持ちに気がついたように、
自身が本気で取り組むことでしか【本気になれる場所】は見つけられない。


そういう人間は得てして、「本気になりたい場所がわからない」という。
だがそれは嘘なのだ。わからないからできないのだ、ということにしてしまいたいだけなんだ。

そなたは自分の気持ちがよくわからないというが・・・・・・
真に自分の気持ちがわからない者など・・・・・・いるものであろうか
その時の気持ちに自身が持てなかったり、そう思うことが不謹慎だと感じてしまって、代わりによく分からないという言葉で誤魔化すのではないか?
――御剣冥夜

x-brand 1/6scale game chara figure マブラヴ御剣冥夜

自身にかけた嘘を暴き、本気で取り組むこと。
それが逃げてきた人間には必要なのである。



次に本気を出す前にすべてが終わってしまう人間については、他者を頼るしかないと考える。
これはひとつ前の逃げてきた人間にも有効な手段である。

自身の想像力の内側では全能である人間は他者を巻き込むことで、自身が全能になり得ない場所を見出す。
想像力の向こう側には未だに至ることができない場所があるのだから。



そうして本気になれる場所を見つけたのならば、後はそれを確かなものにするだけだ。
認識というやつはやっかいなものでどれだけ正しいことであっても
何かの拍子にその真実を疑ってしまうものだから。

真実を疑わずに済むように、偽物に手を伸ばしてみることや
他人を通じて別の世界をのぞき見ることをしてみれば、
自分の場所を再認識し、より強固な想いに仕立て上げることができる。

そうすることで我々は「幸い」を確かなものとすることができるのだ。