huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

ドロップフレーム 4巻  辿りついた先はBadEnd

"This story is not an end yet.
Because only you are in the infinity loop."

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この作品の終わり方を私は何度も経験したことがある。
様々な非日常と出くわしながらも、どこにも到達できない物語。
――これはただの"BAD END"
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始めに感想だけを述べてしまうと、とても残念である。
4巻なんてそのほとんどが辻褄合わせに使われているだけで、
最後には伏線を回収しきれなかったことに対する言葉がつづられているだけだ。
何が「あーおもしれ・・・」だよ。

その上に、4巻からは特に物語が捩れてしまっている。
3巻から続く流れがあったならば解釈の上に解釈を重ねることで
何かしらの筋道を立て、"True End"のようなものを考えることもできたのではないだろうか。



――終わらない物語が読みたい人には良いのではないでしょうか。
見つけられない答えを求めて多くの人が彷徨うでしょう。
伏線だけを残して作者は幕を引いてしまったのですから。

以下憶測。

憶測

「8月1日を残していた」というのは物語の始めから決まっていたことだろうと思う。

奏多ルウが閏之介を「ひまわりさん」と呼んだ時から、
1話目以前の彼女と彼の出会いがほのめかされていた。

「ひまわり・・・と言います」という言葉は、
本当であったならば閏之介が放つ言葉であったのだ。
彼が初対面である奏多ルウの心を惹くのに最適な言葉は「ひまわり」であるから。
その逆は起こり得ない・・・・・・はず、だった。

そのほかにも忘れ去られた言葉は多くある。
「秘密の時間は誰にも知られてはいけなかった」
「燈里がはなした「ほんとうのこと」」
「大切な人をこの手で殺める感覚をあなたは知っていますか」などなど。
回収されなかった伏線は多くあるが、結局のところの問いは「犯人」とは誰なのか、に執着する。

一歩一歩
歩んでる間は
わからないけど
きっといつか
完成した姿に
あえるんじゃないかな
「ああ
このための今だったんだ」って
思える日が

上の閏之介の台詞にあるように積み上げられた死は、
本来であれば幸いへとつながるはずのものであったのだ。

閏之介は一度犯人となるのだろう。
ルウは一度犯人となるのだろう。
かき集めたフィルムを再現するようにして、彼らは真犯人へとたどり着く・・・・・・

真犯人は「燈里」だったのだろう。
物語を救済へと導くのは多分「監督」の役割だった。
閏之助が助けの手を伸ばすべきは「篠崎希」だったのだ。

感想

この作品の到達点はどこにあるのか。
それは「真犯人」を見つけ出すことではなかったはずだ。
3巻で明かされた「閏日に生まれた人間」にまつわる
呪いのようなこの出来事から抜け出すことが最終の到達点だったはずだ。

・・・・・・過去から現在にまでわたって繰り広げられるこの物語は、
そこに到達するからこそ、「恋愛シリアスミステリーホラーアドリブコメディ」として、
一つの物語として完成する――――

そんなことを思います。