学生ぼっちと社会人ぼっち
ぼっちの皆様いかがお過ごしでしょうか?
今年入社された方はきっといつの間にか形成されていたLINEグループに驚いているころかと思います。実は内定式の後に貴方のみんなは飲み会をし、入社式が始まるよりも前に何度か遊んだりしています。知らなかったでしょう。何かを始めることに遅すぎることはありませんが、出遅れれば出遅れるほど追いつくのは難しくなるものなので、もう人間関係にはあきらめたほうがよいかと思います。どうせ部署やプロジェクトが変われば関係性を持つことはありませんし、彼ら彼女らが仕事をくれるわけではありません。むしろ新入社員への教育が評価基準に組み込まれている上司に目を向けるべきで、そこにしか救いはありません。頑張りましょう。一緒に。
ただ、学生ぼっちを過ごしたからといって社会人ぼっちはまた別なものです。
そこで、二つの作品をしょうかいしながら「学生ぼっち」と「社会人ぼっち」の違いを紹介していきます。
学生ぼっち / ぼっち・ざ・ろっく!
ポイント①他力本願
ぼっちは基本的に誘いを断わられるのが怖いので、自分からノックをすることができません。このすば!のゆんゆんが「昼ご飯を食べた後は夕方まで外を一人でウロウロし、偶然知り合いに出会い、遊ぼう? と誘ってもらえるのをジッと待つ子」であったように、ぼっちは常に待っているのです。声をかけられるのを。
話の振り方なんて、もちろんわかりません。
その分、声をかけられたときのための『予習』を怠らない。
自分から行動できない分普通の人よりも格段にチャンスが少ないので、その少ないチャンスをものにするために徹底的に予習をします。大抵の場合はそれが発揮されることなく終了しますが、もしチャンスが到来しても空回りして終了します。悲しいです。
だがしかし悲しいかな。
コミュニケーションが他力本願のため、声を発する機会がほとんどなく、「声がでない」ことが多々あります。
絶望先生でも同じような話があったかと思います。
ぼっちは自分から言葉を発することはないので、休日などを挟むと声を出さない時間が長すぎたせいか、声の出し方を忘れたり他人との話すときの声量を忘れてしまい、声が出なくなるのです。
そのため、無駄に音読などをして普通の人が一日に使う声をカバーしてなんとか声を保つようにしたりするものです。
ポイント②成功体験が圧倒的に欠如している。
ぼっちの過去は基本的に「黒歴史」です。
他人から話しかけてもらうために、人と違うことをしてアピールをするとかぼっちが思っている面白い人の真似をする、といったことをして気づき上げてきた「イタイやつ」という印象は捨て去るべき黒歴史でしかありません。
ぼっちに残された唯一のリセットチャンスは進学のタイミングのみ。
自分に対するマイナスな評価をリセットするためにも誰も過去の自分を知らない場所に進学しようとします。ここで大事なのは「誰も」というところです。誰か一人でも過去の自分を知っている人間がいる場合には、「マイナスな自分」がどうしても拭いきれなくなってしまうものです。
そこから学習して受け身な姿勢が強化されていくわけです。
一方で、成功体験に対してぼっちはチョロいです。
ぼっちは基本的に行動を起こさないため、成功体験が他者に比べて圧倒的に少ないです。なので、ちょっと頑張れると頑張れるような気がしてすぐに調子に乗ります。自分からみたら大きな一歩だとしても他人からしたら小さすぎる一歩だったりするんですが、比較する対象がいないので気が付かないんですよ。いいじゃないですか。それくらい。
あと、成功体験以前の問題として、普通の人間が他人とのコミュニケーションで獲得してきた普通の選択肢を知らないうえに、コミュ症の自分にできることを考えると極端な選択肢しか残らないことが挙げられます。
他の人間が配られたカードを交換しながら物語を進めていく中、一人手持ちのカードで戦うしかないんです。頼れるものは家族だけ!・・・となるとこれでみんな幸せになれる、という選択肢しかとれないですよ。
ポイント③馴染めない
「この街に慣れていない」という感覚はとってもぼっちぽいです。
オタクが黒い服を着た人間の多い秋葉原を歩くと安心したのと似たようなもので、近くに知っている自分を害さない「慣れた」ものがあるというのはとても大事なことです。
トイレは不良染みた人間たちのたまり場だったりするので、そこを安息の地とすることは少ないし、他人の視線から逃れるのであれば早々に食事を終えて歩きまわることや食事を行わないで歩き回るなどの手段が有効です。もし、その行為の間に人がいないベンチなどが見つかれば最高です。そこが「自分を害すもののいない慣れた場所」になるでしょう。
↑ここまでは学生ぼっちの話
↓ここから社会人ぼっちの話
社会人ぼっち
なんで生きてるかわからない人 和泉澄25歳
学生ぼっちは行動に表れやすいですが、社会人ぼっちは思考に表れやすい。
きららはきらきらしているのですが、こっちはきらきらしていない上に等身大の話が書かれているので余計に辛い。でも、最後の2話は救われた。だから好きなの。
ポイント①なんで生きているのかわからない
生きるために働いているので起きなくてはいけないのですが、なんのために生きているのかわからないんです。
起きないといけない、働かないといけない、でもなんで?
そこに理由を求め始めると底なし沼に沈んでいくのでできるだけ考えないようにして生きている。普通の人間であれば自身の思考で道を切り開いていけるのかもしれないけれど、普通になれなかった自分がたどり着く先は地獄しかなくて、どれだけ考えてみたりしても悪い地獄かましな地獄かの二択でしかないんです。
25歳という年齢になると夢に向かってきららジャンプすることもできないので、線路に飛び出した、くらいしかやれることはないです。死は救済。
ポイント②時間だけを重ねていく。
自分が重ねたのは齢と皺だけ。最強伝説 黒沢でも同じような話がありましたよね。
ぼっちがぼっちになる理由の一つに他人から逃げることが挙げられるのですが、社会人に入ってからは経験値と行動に応じて人生のスピードが急速に変化します。というよりは先に進むための衝立がなくなるんです。これまで足の速い人を学校にとどめてくれていた衝立が。学生の時分から時間の壁に押されて学校から排出されただけのぼっちがそうした人々についていけるわけもなく、同期から同級生から置いていかれていく。
そうした感覚がより他人を遠ざけていく。ぼっちになる。
終わりに
「無能・社畜・ぼっち」の大三元を揃えてしまったらおしまいです。
実際問題はセーフだったとしても個人の心の部分がアウトです。耐えられません。
頑張って幸せになりましょう。