huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

嘘と労働

 自動スクロールのアクションゲームって、時間に押されて進んでいくと大抵飛距離が足りなくて死ぬじゃないですか。走りだそうと思ったらもう目の前には崖が迫っていて、いざ飛ばなくちゃと気を入れたときにはもう距離がたりなくて、先のステージを夢見ながら落ちてしまうじゃないですか。まさにあんな感じなんですね。労働って。
 自分が新人だと思っていた時間はいつの間にか消え去っていて、新しく入ってきた新入社員に看取られながら、落ちるしかない崖の手前でジャンプをするしかなくなっていて、できない理由を外に見つけようにもどうしようもないくらい自分の情けなさだけがただあるので、できるだけ笑われないようにジャンプするんです。そうすると崖の手前で「もっと頑張れ」とリスタートさせられて、延々と飛び越えられない崖に向かってジャンプしていく。そうこうしている間に後ろで見ていた人間が自分の目の前を軽やかに飛んで行ったりする。鳥は鳥でも飛べない鳥はなーんだ。それはひとりという鳥だ。飛べない鳥は羽を毟られて唐揚げになるしかないんですが、誰もひとりなんて食べようとは思わないんです。だから、ただただ自分の肉体が腐っていくのを見ていくことしかできない。あの柵の向こうに跳ぶこともできやしないから。醜く腐り果てていく身体をみるために私は生まれてきたんでしょうか。自分の肉を腐らせて周囲のものをゆがませて、そんなことのために私は生きているのでしょうか。もしそうならば平成よりも先に終わりたい。
 労働、労働、労働。大変なんですね。最近はもうずっと、公式を知らないままに問題を解こうとしているような気分で胸がいっぱいになります。バカは死ななきゃ治らないといいますが、たぶんそれはバカが言った言葉ですよ。私はあなたとは違う人間です。もうあなたのようには慣れないので終わりにしてほしい、と。それがいつの間にか逆転してバカは死ななきゃ治らないという嘲笑に代わり、初手自殺が最適解になるわけです。これでみんな幸せになれる。
 嘘、嘘、嘘。嘘に嫌われていたいですか。そうですか。優しい嘘でも何でもいいですから、私の前では全部本当のことみたいにしておいてほしいです。もういいじゃないですか。嘘とか本当とかそういうの。どっちにしてもいいことなんてないんですから。嘘でも本当でもなんでもいいので、誰か私を助けてよ。
 祈り。これから先どれだけの無力感を積み重ねていくのだろう。無力感が積み重なるほど、齢を重ねるほど、少しずつ自由と自在が失われていき、いつしか自分の身体も思うように動かせなくなる。時間をかければできることなら布団を燃やしたりしてもいいんですが、時間をかけてもできないことなら何を捨てればいいんですか。時間がすべてを過去にしてくれる。それが唯一の救い。時間は祈りだ。ありとあらゆる現象を誰も手を出せない、物理的に手のくわえられない過去に追いやってくれる。時間は現象を風化させ、私のミスも過ちも全部誰も手を出せない場所にもっていってくれる。終わり、終わり、終わり。もうその先には何もない。人間なんて生きていたって意味がないじゃないですか。どうせ自然の美しさには負けるんだ。だったら全部投げ出して消えてしまえ。そうだ、きっとそれがいい。空想も幻想も現実の讃美歌に過ぎないならば。全部終わればいい。