huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

最適化の果てに

 

今回はただの妄想です。

 

 

◆現代技術の進歩の先に
マーケティングの一つに「CRM」というものがある。
これが進歩していった先には「個客対応」が可能になると予想される。
もちろん、そのためには生産側も「個客対応」できるようにならなくてはいけないのだけれど、そういうのもいつかは出来るんじゃないだろうか。(industry4.0とかがそんなんだったか?)

 

要は何が言いたいか、っていうと、

 

遠い未来かもしれないが、すべてがその人のためにカスタマイズされる

 

ということが起こり得るということだ。

今回はそれで少し考えてみたい。


◆すべてのモノはあなたのために
自分が潜在的に欲しいと願っているすべての物事が手に入る世の中になったとしたら、どうなるのだろうか。これも一種のユートピアだろう。
すべてのものが理想の状態で眼前に現れるとしたらそれに優るものは無い。

健康方面に関して言うのなら、ハーモニーが参考になるだろう。
「自分」を全て「言葉」に還元して、それを元に最適な食事や健康状態を保つために必要な薬などを与えてくれる。
これも、潜在的に必要なモノがすべて自分にカスタマイズされたカタチで与えられるという辺りで似ているものだ。

そしてそれが商品という辺りまで入って来ると「欲求」までもが「言葉」に還元されることになる。
自分が必要としているもの、欲しいと思うものがカスタマイズされて与えられる。

しかしそれは、自分の想像力が商品の限界ということになるというわけではない。どういうことかというと、自身とその整合率が高い人間が欲しがったものも商品として提供されるからである。つまり、自分の現在の想像力だけでなく、他人の想像力も含めた想像力が商品の限界となる。

もし、実際にそんなことが起きたとしたら、「欲求」そのものをコントロールされて、与えられる商品は自分のためのものである、と考えるようにさせられるのだろう。そして、それが幸せだと思うようにされるのだろう。

 

◆芸術すらもその対象に

どこかの記事で見たのだが、星新一のSSをロボットに書かせるみたいな企画があった。詳しいところは覚えていないのだが、パターン認知とかそういう類の話であったように思う。
これが行き着く先は本当の意味での「あなたのための物語」が作られるようになるということだ。

簡単にいってしまうならば、「あの作品が好きならこの作品も好きかも」なんていうのを究めたような形。そして、それを機械が書いてくれる。

そうすると、小説なんてものはなくなってしまうのかもしれない。
安吾でもあり、神林でもあり、ロミオでもあり、わたりんでもある、そんな機械が生まれてしまうかもしれない。そして、その機械に自身を組み込むことで、あなたに最適化された物語が生み出される。
機械が人間の限界を達成できるようになれば、そんなことが起こってしまうかもしれない。

現在「偶然」なんて風に表現されるような「曖昧さ」が言葉に還元されてしまえば、人間の芸術活動なんてものは「不完全な粗悪品」にしかならず、機械が生み出す「完全」にひれ伏すことになる。

 

◆最適化の果てに

つまりこんな感じになる。

・すべての物事が言語化される。
・従来人間が担当していた「曖昧さ」も言語化され機械の仕事に。
・従来人間が担当していた「進歩」すらも機械の仕事に。

 

イメージ的にはBEATLESS+ハーモニーみたいな感じだろうか。

 

そうすると人間は「価値」が無くなる。
すべての生産活動は機械が代替することになり、人間でなくてはいけない物事はこの世から消え失せることになる。

たとえ、「意志」を持ったとしても、その頂点には「機械」がいる。
たとえ、機械を好まない人がいたとしても、機械が作るものよりも数段ランクを落とした「粗悪品」が当人には送られ、それをありがたがることとなる。

すべての願いは受け入れられ、すべての人間が生を享受する。
現在は在る「人間の価値」がすべてなくなってしまったらどうなるのだろうか。

そうなるとBEATLESSの次の未来の話になってくるのだろうか。
hIEという人間の完全なる上位互換が現れてしまえば、人間の意味はなくなってしまわないだろうか。
ミァハのいう「死んでしまった人間」はどうするのだろうか。どう行動するのだろうか。何のために生きるのだろうか。

人類の幸福のために生きる。
→人類の幸福は機械がサポートしてくれます。あなたはボタンを押すだけ。

趣味に生きる
→機械が不完全を含めた完全な作品を作り上げます。機械に劣る物しかあなたは作れません。

生きる
→人間が創出できる価値はすべて機械が創出してくれます。もう、貴方が存在していても価値を創出することはできません。

 

◆価値を喪失した人類
人類が積み重ねてきたすべてを機械に引き継げるようになったのなら我々はどうするのだろうか。

現在でも、多くの人類は「価値」を創出することなく生涯を終える。
誰かに対して「意味」のある行動は取れるかもしれないが、それが「価値」のあるものであることはほとんどないだろう。
そうすると、多くの人類にとっては「価値の喪失」はたいしたものではなくなるのかもしれない。

「価値」というから分かりにくいのかもしれない。
別の見方をするならば「問いの喪失」でもある。

人類が解決しようと躍起になっている諸問題のすべてが機械によって答えが出され、解決される。

また、別の味方をするならば「意志の喪失」でもある。

○○が無いなら俺が作ろう!→機械が一晩で作ってくれます。
○○と××の物語が見たいから作ろう!→データ収集後に作成されます。

こんな風に、これまで人間が生命に反してでも行ってきたすべての物事が安易にかつ安全に達成されるようになる。
そうすると、人間の価値は完全に喪失することになる。生きている価値が無くなるのである。

そうなったら人類はどうなってしまうのか、っていうのが問題。
そういうものこそSFの土俵なんだろうけど、まだそういった作品には出会っていないような気がする。

管理社会下であるならば、価値の喪失に気が付かれないような仕組みを用意するだろう。何かしらの意義を感じられる場所を用意するだろうな。

月の珊瑚では「動機の喪失」が描かれる。進化することとかそういった類のものに対する意欲を失った人類はゆるやかに衰退していく。
今回考えているのは動機を向けた先にある「目的の喪失」でもあるので、少しばかり違うのだろう。

 

いや、そうか。
人類は目的のために行動することが出来る。
機械が人類の上位互換になったのならば、人間が機械の身体を持てばいい。
人類を機械化することで、進化も欲求も代替させることなく生き続けることが出来る。

 

今の段階でできることが終わったのならば、次の段階に進むだけ。
もし、進むことが出来なかったならば緩やかに衰退をしていくだけだ。

 

◆人類の機械化

しかし、人類を機械化するというのは生存本能的にはどうなのだろう。
機械化して言葉に還元してしまえば、今まで必要としてきた精神的な充足が必要と無くなる。それは例えば「愛」とかそういうの。感情という現象も言葉に還元されてしまうだろう。
そうすると、進化(深化)することに人間が特化され、無駄が排除され、「進化」以外の意味を喪失することになる。

そうすると、自分のモノを失うことにはならないだろうか。
今自分が持っている記憶も、感情も、思想も、思考も、すべて言葉に還元されて自在に操作できるのならば、私というものはどこにいるのだろうか。

それを私は「進化のために必要な事」として受け止められるだろうか。

踊っているのでないのなら
踊らされているんだろうさ
―狐と踊れ 神林長平

私はそんな世界で踊っていられるだろうか。
二つの現実を選択できる時に、私はどちらを選択するのだろうか。

 

・すべてのモノが貴方のためにカスタマイズされ、自動的に拡張され続ける理想的な現実

・不自由でありながらも確かな自分を感じながら生きていられる現実

 

いっそのこと最適化の果てにある「ハーモニー」で意識を蒸発させてしまえたならばよかったのに。
もしくは、進化の果てにある「肉体からの解脱」で人類の意識が統合され霊的な存在にまで押し上げてくれればいいのに。
どちらにせよ、個人が消えることになる。個人なんて消えてしまえ。

 

どうするんだろうな。
今のように「ほどほどに嗜むこと」が出来なくったならば。

個人が消失するその日まで、私はどうするのだろうか。


多分私は新しい現実に向かうだろう。
私の夢はおそらくそこでしか叶わない。
本当は自由に行き来できるのが理想だが、それが無理ならば私は新しい現実へ行く。
価値を喪失し、私を喪失したとしても。
私は今いる世界にさよならして、新しい世界行く。
やりたいことが出来る場所がそこだったというだけ。
そして、社会的な優しさを欠いた世界で生きていけるほど強い人間ではないというだけ。

 

いつかはそんな日がくるのだろうな。
私というモノが無くなる日が。


そんな日が来るまでに私は私として生きなければならない。

これは幸せなんだろう。