僕は美少女に頭を垂れる
この変態!der変態!変態大人!
THE IDOLM@STER MASTER ARTIST 2 -SECOND SEASON- 01 水瀬伊織
- アーティスト: 水瀬伊織(CV:釘宮理恵)
- 出版社/メーカー: 日本コロムビア
- 発売日: 2011/05/25
- メディア: CD
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◆僕は美少女に頭を垂れる
美女に、美少女に、美幼女に罵られるのはたまらない、という人間がいる。
ツンデレとかがジャンルとして成り立っているように、僕らの中にはそうした遠い存在からの叱咤というものを快楽に置き換えてしまえる器官が存在している。
例えば、いおりんから「真面目にやりなさいよ!」と怒られれば、「ありがとうございます!」と言い、千早から「……真面目にやってください、プロデューサー」と冷たい視線を向けられれば、「ありがとうございます」と言う。
真面目にプロデューサー業を営んでいる人間ならば、こうした台詞の中に違いを見つけ出して、応えるべきものはキチンと応えるのだろうが、多くの人間はそれらを快楽に置き換えてしまう。置き換えてしまえる。
そういう人間がいるよ、っていう話がしたいのではない。
これは「書籍」でも起こりうることなのである、ということを書いていきたい。
◆優れた書籍で叩かれる。
僕が美少女に叩かれて(物理)喜ぶように、優れた書籍で叩かれて(精神)喜ぶような人間が存在している。
それがどういう人間かっていうと、権威に叩かれることに快楽を見出す人間である。
何かしらの権威を獲得した書籍に書かれている事実や真実のようなもので、自己を批判されることを良しとするタイプの人です。真実の前に頭を垂れるというのは悪い事ではないけれど、この人たちは権威の前に頭を垂れているわけです。
以前の私はこうした傾向があり、「権威=正しい」であってそれを鵜呑みにすることが唯一の正義である、という考えをしていた。だから、所謂古典とか、哲学とかを意味も分からずに見ていたのである。
このタイプの問題は、「そこに自分がいない」ことである。
権威をなぞるばかりで、そこに自分が介在していない。どこまでいっても上滑りなわけである。だから、次から次へと真実を乗り換えていって、しまいには何も信じることが出来ずに、生涯を終える事となる。
カタチばかりを手に入れて、中身を欠落したまま歩き続ければ、いつかは自壊する。
◆僕は伊織に頭を垂れる
美少女にしても古典書にしてみても、どちらも現在の自分とは距離が遠いものである。
それゆえに、我々はその中身を理解することもないままに頭を垂れてしまいがちである。
どちらもそれ自体に価値が存在しているため、わざわざ自分を通して価値を確立させずともそれに従ってしまう。かわいいは正義。そこに意味は存在しない。
だからこそ、私は美少女ではなく伊織に頭を垂れる。
可愛いからではなく、伊織だから。水瀬だからではなく、伊織だから。
最近はカタチだけで人の頭を垂れさせるようなキャラクターが増えているので、カタチだけではなく中身をこれからもみていきたいと思うわけです。
偏見が強くなってきた昨今の自分への戒めです。
それではまた。