天使ちゃんは天使じゃない
天使ちゃんまじ天使
語彙力のない僕らは、天使ちゃんを表現する術を持っていなかった。
それゆえに、僕らは天使ちゃんを天使ちゃんと呼ぶしかなかったのである。
……なんて話ではないよ。
語彙力がないから天使ちゃんを天使と呼ぶのではない。
僕らがそう呼ぶのには理由がある。
言葉の限定性
「選ぶとは選ばないこと」みたいな話があったりする。
これは、何かを選んだということは、何かを選ばないという話で、
ちょい前くらいの、fate/zeroでは「誰かを救うことは、誰かを救わないこと」
なんていう風に使われていたと記憶している。
これは、「言葉」でも同じことがいえる。
例えば、天使ちゃんが天使な理由を
「かわいらしい外見」とか「天使のような行動」だと「言葉」にする。
そうすると、僕らは天使ちゃんの天使さを確かなものとすることができるが、
言葉にされなかった「要素」は零れ落ちてしまう。
つまり、
「外見」と「行動」だけしか、天使ちゃんの天使なところを救い上げられない。
僕らの感情を一言であらわした「天使」からは程遠いものしか得られない。
……僕ら人間は完璧な存在ではない。
言葉にできない曖昧な想いを無理に言葉にすれば、何かを取りこぼしてしまう。
どれだけ言葉を紡いだところで、「天使ちゃん」を確かなものにすることはできない。
むしろ、「天使ちゃん」を狭義の意味に落とし込めているのではないだろうか。
なんてことを考えると、「天使ちゃんマジ天使」としか言えなくなる。
「言葉は天使ちゃんを天使でなくしてしまうから」
それでも、僕らは言葉を紡ぐ。
それでも言葉を紡ぐわけ
大抵の言葉は対象の一部しか切り取れない。
だから、言葉だけではそのすべてを表現することは難しい。
それでも言葉を紡ぐ理由の一つは、「憶えておくため」であるだろう。
言葉の持つ作用の一つに「記録/伝達」がある。
もっと、端的に行ってしまえば、「言葉には再現性がある」ということだ。
メモの内容から意味を思い出す、日記から感情を想起する、
そんな風に、言葉ってやつには「再現性がある」。
わかりやすいのはtwitterだろうか。
自分が過去につぶやいた言葉から、ある程度の内容は「再現」できる。
言葉が具体的であればあるほど「再現性は高く」、抽象的だと「再現性は低い」。
そういう大小はあれど、「言葉」があれば、「なんとなく想像することはできる」わけ。
そういう言葉の「再現性」を使って、僕らは天使ちゃんを確かな存在にしているわけである。
「よかった作品」を「よかった」だけで終わらせたくないから言葉を紡いでいるわけである。