huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

好きな事なんて何も無い・・・私には何も・・・

 

 

前回 “趣味”の見方を変えることで、6割くらいの人が救われる、という風に書かせてもらいました。見方を変えても救われない4割の人は何なのか、どうしたら救われるのか、ということについて今回は書こうと思っています。

まず、4割の人について言うと、彼らは“無趣味”というやつです。

この中にもいくつかのパターンがあると思いますが、今回は“好きな事が無い”というパターンについて書きます。

人様に話す趣味が無い、という場合は前回の記事を見るか、適当なクラブやジムに行ったりして身につければ良いのです。カナちゃんも言っていましたが「個性を付けるのにアビリティを身につけた方が手っ取り早い」、つまり、体系的な物事はキャラクター付にもってこいです。

そうした誰かに伝えるための“趣味”は別にしても、自分が楽しむための“趣味”が無いと、生きていく上で鬱屈とした人生になりかねません。ですから、次に“趣味”の見つけ方について書いていきたいと思います。

 

一番単純な方法にして最強な方法が、「誰かについていく」というものです。

基本的に“趣味”というものは外部からの刺激を受けて、行動を起こし、趣味へと繋がっていきます。ですから、趣味を持ちたければ誰かにくっついて一緒に楽しむのがベストな方法です。

おじさんぐらいの年齢の方にゴルフが趣味だという人が多いのも、こうした付き合いを通じて興味を持ち、自分でもやるようになった、というケースが少なくないのではないでしょうか。

何事に関しても、一人で取り組むよりも誰かに手伝ってもらった方が楽なことは少なくありません。友人を利用する、というと言葉が悪いですが、友人をきっかけに趣味を見つけるというのも一つの手だと思います。また、好きな事がなくとも誰かと一緒にいるのが好きだという人もこんな風にしてコミュニティに入っていくと、それを満たすことができます。

 

 

しかし、こうした方法では“趣味”が生まれない人もいます。

それは余裕が無い人です。

時間的な余裕が無い人はもちろん、体力的・金銭的といった物理的な余裕、そして精神的な余裕、これらが無ければ趣味を見つけることは難しいでしょう。

常に忙しい人が急に空いた時間にどうすればいいのか分からないという話がありますが、こういう場合に、先の方法は使いづらいものがあります。余裕が無ければ、新しいことに取り組む意欲も生まれにくいものがあります。そのため、パチンコやパチスロなどの簡単に気持ちよさを味わえるものに流れてしまうことも少なくありません。好きでやっている場合は別ですが、他にやることがないから向かってしまう場合は好ましくないのではないかと思います。

こうした場合に必要なのは、ゆとりを持つことではないでしょうか。それが一番難しいことだとも思いますが、やっぱり、趣味を楽しむにはゆとりが必要なのです。私の場合は、切り捨てることでゆとりを作り出してきました。そのため、切り捨てられない方々については申し訳ないのですが、分かりません。仕事を無理に楽しもうとするなども考えましたが、どうしても薄っぺらくなってしまうため、また、何かしらの手段を見つけたら書こうと思います。

 

そして、最後に、趣味と人間関係について書きたいと思います。

人間関係を切り捨てて生きてきた人は、趣味というものを持ちにくい、という風に私は考えています。前述したように、趣味へと導いてくれる存在の欠落、という意味もありますが、それ以上に“一人”というのは想像以上に“不自由”です。

いや、待てよ、「誰とも関わらず一人で生きる」というのは、煩わしい人間関係に悩まされず好きなように生きれて“自由そのもの”じゃないか、と思う方もいると思います。それも間違いではありません。彼らは自由そのものです。でも、不自由なんです。

一人で生きることは酷く閉じられたチャネルの中で生きることになります。分かりやすい例では、暇を持て余した大学生がアニメを見始める、パチンコに行く、2chを警備するというようなことです。一人で出来ることは想像以上に少ない。

また、一人でいると新たなチャネルに繋がる機会も喪失します。他人が繋がっているものと繋がる機会を失います。ですから、友人のやっているのを見てやってみたくなることも、憧れるようなこともなくなります。繋がることによって触れられた世界が次々に閉じていくのです。

人間関係を切り捨ててきた人は自由であるが、やりたいことが見つからず、やりたいことができない。自由だが、自在ではない。だから、不自由なのだ。

人は一人で堕ちつづけられるほど強い生きものではないと思います。ですから、面倒な人間関係を断ち切ってもネットを通じて誰かと繋がろうとしてみたりするものです。それは、一人だけで生きることの寂しさやつまらなさを知っているからではないでしょうか。

 

 

“趣味”ということに関する本音をいうと、考えることがなければそれが一番幸せだと思います。自身の内面に関わることは、何かしらの問題が無ければ振り返る機会はないものです。私としてもこうしたことを考えていた時期は特に鬱屈としていた時期だったと思います。ですから、私としても、今回と前回の記事を通して、何かしらの調整が出来たのではないかと思っています。

 

参考図書

 

凡人として生きるということ (幻冬舎新書)

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堕落論 (280円文庫)

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