人様に言える趣味
「ご趣味はなんですか?」そう聞かれると、困ってしまう人は少なくないと思います。私もそのうちの一人でした。もちろん、好きなものや興味のあることはあります。ただ、それが“趣味”として受け入れられるのか、という問題があります。
一般的に趣味というと、サッカーとかテニスとかのリア充ご用達のものから、読書や音楽鑑賞などのヒッキーご用達のものまで色々とあります。“趣味”そのものに貴賤はありませんが、それを聞いて受け取る印象は異なってきます。時と場合によっては、趣味を使い分けた方が良いこともあると思っています。
一度、趣味について再定義しておきたいと思います。色々な考え方がありますが、
ここでは、
趣味:自由な時間に繰り返して行っていること
という風に、定義したいと思います。もう少し砕けて言うと、暇な時間にしていることが趣味、ということです。(私としては“偏愛”の対象なんて考えています)
ですから、時間が空いているときに何をしているのかを考えてみればそれが趣味であったりするものです。例えば、空いている時間に本を読む人は読書が趣味でしょう。帰りにTUTAYAで映画を借りる人は映画観賞が趣味でしょう。散歩が好きならそれが趣味だということだって間違いではありません。
ただ、ここで注意してほしいのが「対象について詳しいこと」が“趣味”の条件ではありません。作曲者や監督の名前を知っていなければいけない、なんてことはありません。好きになって、気になったら見てみればいいだけの話です。自身の好きな事について考えるのに、それを否定する他人を考慮してあげる必要はないのです。本当ならば。
そうなんです。本当は自身が嗜好するものである“趣味”が他者とコンテンツを共有するツールになっているのが現状です。そのため、「趣味はなんですか?」という質問が、相手のことを知りたいからではなく、自身との共通点を見つけるための質問になっているわけです。“好きな事“というのも同様のツールになっていたりします。
つまり、好きなことを誰かに伝えるときには他人を意識する必要があるということです。場合によっては、「なんとなく好き」という感覚を解体して何かに当て嵌めて伝える必要があるのです。自分だけの感情を伝えるには、言葉を使って橋渡しをしなくてはならないのです。そうでなければ、その想いを伝えることは難しい。
ここで一度まとめると、“趣味”は個人的な嗜好であるが、それを外部に出す際には他者を意識した言葉でもって伝える必要がある。
本当に面倒な話です。“好きだから好き“といってしまいたいけれど、誰かは「何が面白いの?」なんて聞いてきます。
だから、「趣味は何ですか?」と聞かれてもストレートに自分が暇な時間にやっていることを、好きな事を、そのまま伝えることのできる機会は少なかったりします。そのために、無難な解答というやつで誤魔化したりしてしまいます。
しかし、先述したように、趣味は時と場合によって使い分けられるべきです。私が思うに、次の三つのパターンに分類できるのではないかと思っています。
1.共通点を求める質問の場合
2.就職活動
3.“好き”がある程度共有されている場合
大きくこの三つに分かれると考えています。
◆共通点を求める質問の場合
初めての人たちで集まった時、自己紹介のとき、なんかはこのパターンになります。
意味合いとしては、“好き”を通じて仲間を探している、と考えたら良いかと思います。
こういう時は“好き”をぼかして言うのが失敗のない方法です。コアな内容を列挙して受けを取れるような人間なら別ですが、そうでない人はぼかしたほうが良いと思います。
ここで話される“好き”に関してはみな薄っぺらいものが多かったりします。
W杯がやっていたら見るくらいにサッカーが好きだったり、カラオケで歌うくらいには好き、とかそういうレベルのモノです。
ですから、こういう場でマニアックすぎて引かれるようなコアなことは言わない方がベターというやつです。誰もが、コアな趣味を共有したいというわけではありません。
一緒にいるうえでの“あなた”をカタチづくるための挨拶みたいなものなので、変に深く考えず、好きな事の上っ面を白々しく話してやればいいのです。
◆就職活動
これこそ、趣味を考える一番の場所ではないかと思います。適当な趣味を書いたりすると、後で公開することになりますし、好きでもないことを書くのは得策ではありません。
ここでは、“貴方が何を好きなのか“ではなく、”貴方がどんな人間か“を見ていると良いと思います。ですから、貴方の偏愛を語るべきでも、上っ面を語るべきでもありません。趣味を通じて、何かしらの価値や意味を見せつける必要があります。
例えば、趣味が読書ならそこに目標や理由を付け加えて語っていく必要があります。“ただ好きだから読んでいた”この想いは間違ってはいませんし、大切にするべきものですが、こういう場では“読書を通じて~”を持ってきたほうが良い。こうしたものは、自分の趣味の見方を少しズラしてあげると見えてきたりします。
ですから、好きだという“想い”ではなく、好きなことを通じて得られた“コト”を見てあげて、その上で言葉を綴ればよいのではないでしょうか。
◆好きが共有されている場合
例えば、コアなサークルなどの新歓などがこれに当たるかなと思います。受け入れられる土壌がある場所が、本当の趣味を、偏愛を語る場所ではないでしょうか。
好きが共有されていないと、コアな話題は上滑りしてしまいます。聞いてくれる優しい人はいるかもしれませんが、望むような会話はできません。共有しているものがあるからこそ、自身の知らない内容も受け入れられるし、受け入れてもらえるものです。
加えて、インターネットなら、好きなように偏愛を暴露していってもいいのではないかとも思っています。インターネットの場合は、テレビはラジオのように、何もしなくても入ってくるものでは無く、自身で検索し、選択し、クリックしなければ見えてくることはありません。つまり、モノ好きな人が手間暇かけてクリックしたのに関わらず、当たり障りのないようなことしか書いていなかったらどう思うでしょうか。ある程度の良識や常識は必要ですが、そのページを見ている人はそこに書かれた何かが好きだと言えるので、自由に偏愛をぶちまけていいでしょうし、そうして欲しくも思っています。
最後に、タイトルについて言及してまとめようと思います。
“人様に言える趣味”<“偏愛的な趣味”という図式で考えたら良いと思います。
好きなモノ・コトに貴賤はありませんが、最初から根っこのドロドロとした部分を晒してあげる必要はありません。人様に言えないような趣味であっても、見方や伝え方を変えれば人様に言える趣味になったりします。
考え方次第で、世の中の6割くらい(適当)の人が悩む“趣味“という問題は解決できるんじゃないでしょうか。