huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

取り敢えず行動しろ、なんて嘘さ

 

事実を抱いて溺死しろ

 

節目としての時間が刻一刻と迫りつつあります。

多くの人にとって、4月というのは何かしらの意味を持っています。

新しい学年の始まり、新社会人の始まり、新たな年度の始まり。

4月とは何かが始まる時期です。

 

そこで、今回は「行動」という事について書いてみたいと思います。

新しいと感じられる時期には目の前に様々な風景が広がります。

そうした新しさに触れていると、自分も何かを始めたい、行動したいという意欲が湧いてくる。

 

けれど、行動には落とし穴もあったりするので大変なわけ。

意識が高い系よりもそれらを嘲笑う人間ほど陥りやすい罠。

 

行動よりも大切な事がこの世にはある。なんてね。

 

コンテンツ

とりあえず行動しておけ!

行動の落とし穴

RPGの鉄則は……

行動は気づけた人に微笑みかける

迷ったら人に聞く!

行動以前の問題

終わりに

 

 

 

とりあえず行動しておけ!

動き始めればなんとかなる。

そういう論調はこの世の中に広く知れ渡っています。

 

幸福論でも「まず何よりも肝心なのは、思い切ってやり始める事である」と言われている。

行動すること、スタートさせることが大切なのだと。

 

これについては、私も大いに賛成である。

一度行動してしまえば、そこから先は慣性の力を利用してどうにかなってしまうものだ。

今書いている文章にしてみても、書き始めてしまえばそこから先は何とはなしに言葉が続いてくる。

 

「行動する」ことによって「後の行動」がついてくるわけである。

 

つまり、物事は始まってしまえば、後はどうとでもなってしまうのである。

 

逆に言えば、行動しなければ何も始まらないし、何も終わらない。

辿りつきたい場所があるのなら「行動」は避けて通ることのできない壁だ。

 

 

何者にもならない、という人間以外は「行動」しなくてはならない。

 

行動の落とし穴

しかし、残念なことに、行動すれば全て報われるわけではない。

大好きなあの子に想いを告げても報われるか分からないように、行動に対する結果は不明瞭だ。

それゆえに人は行動を控えてしまいがちである。

 

ただ、今回問題にしたいのは行動の先に待ち受ける不明瞭さ、ではない。

行動の先は不安ですががんばりましょー、なんてことは言わない。

 

その枠から外れた問題がこの世にはある。

 

頑張らないといけない。

頑張らないと不安になるんだ。

――大図書館の羊飼い

 

「頑張っていないと不安になる」

 

アニメはよく覚えていないが、桜庭玉藻ちゃんは覚えている。

この台詞だけは覚えている。

 

厳密には違うかもわからんが、意味は間違っていないはずだ。

動いていないと、頑張っていないと、不安であるという感情。

行動していなければ心を保っていられない。

頑張れなくなった私に居場所があるのか、という不安もある。

 

玉藻ちゃんの不安がどういったものかは分からない。

けれど、多分彼女は行動し続ける事によって不安から逃れようとしたのだろう。

 

……彼女の話を持ち出してまで、何が言いたいのは、

【行動することで不安から逃げられる】

という事実だ。

 

行動さえしていれば、「頑張ったから仕方がない」という理由が使える。

どうして不安だったのか、何が不安だったのか、を直視することなく逃れることができる。できてしまう。

 

達成のための行動ではなく、逃避のための行動。

その先に待ち受けているのは落とし穴だけだ。素晴らしい世界はその先にはない。

 

 

逃げるな、とは言わないが、誤魔化し続けるな、とは言います。

嘘はいずれ本心になり、想いはどこかへ抜け出ていってしまう。

 

何かを誤魔化すために行動し続けていても、何も変わらない。

 

RPGの鉄則は……

RPGの鉄則は「村人に対する聞き込み」である。

誰とも話をすることなく冒険に向かっても期待する結果は得られない。

取り敢えず先に進んでいっても必ずどこかで問題に突き当たる。

 

加えて言うならば、大目的以外に中目的や小目的を見つける事も大事である。

「魔王を倒す」という大目的以外に、船を手に入れるとか、オーブを集めるとか、そういった目的が必要になる。

そうでなければいつまでたっても山に囲まれた魔王の城にはたどり着けない。

 

また、聞き込みを通じて「攻略法」を知ることもRPGには求められる。

あの敵には××が効くぞ、とかあの敵には魔法は効かないとか、アレを手に入れなければ闇の衣は剥がせないとか。

 

しかし、最近のRPGでは「レベルを上げて物理で殴る」なんてのも主流になってきている。

弱点属性や有効な状態異常などを調べることなく、自身のレベルのみで敵を打ち倒すスタイル。

加えて、鍵の場所が分からなくてもアバカムすればいいみたいなスタイル。

 

どちらが正しい遊び方だ、なんていうつもりはない。

が、どちらのやり方が効率的かはわかる。

 

行動とは気づけた人に微笑みかける

闇雲に、あるいは誤魔化すように行動していては目的に到達することはできない。

年齢を経るごとにレベルを上げて物理で殴るのが難しくなっていく。

ごり押せない問題が増えてくる。

 

ゲームでさえ「気づき」を必要とするのに、人生に「気づき」が要らないわけがない。

 

気づきを欠いたまま行動を続けても、不安を紛らわせる以上の効果は与えない。

 

だから、結局のところ大切になるのは「気づけるかどうか」ということだ。

 

迷ったら人に聞く!

ゲームの主人公が一人で謎を解決できないように、現実の主人公も一人では難しい。

 

【迷ったら人に聞く!】

 

これが最大の攻略法。

まん丸ボタンについて教えてくれる人もいれば、寝言で道順を教えてくれるモンスターだっている。

もちろん意味のないことを話す人もいるが、それでもいつか誰かが気づきを与えてくれる。

それでもダメならばメタ的な立場にいる人に聞く。(ゲームでいう他のプレイヤー)

そうすれば、俯瞰視点から気づきを与えてくれることだろう。

 

気づきを得たのなら、即座に行動しなくてはならない。

情勢が変われば、行動の正当性もまた揺らぎかねない。

あるいは、流れに取り残され、望む行動ができない可能性もある。

 

ここにきて、ようやく「とにかく行動しろ」という言葉が役に立つのだ。

 

行動以前の問題

他人の目に入るのは事実だけだ。他人には行動しか目に入らない。

そのため、「行動することを恐れているのか」と「どう行動したら良いのか」は同義として扱われる。

他人からすればどちらも「行動していない」に過ぎない。

 

行動している場合も同じだ。

「誤魔化すために行動している」のか「目的達成のために行動している」のかは分からない。

 

だから、「行動以前の問題」に関しては自分から解き始めなくてはならない。

 

一歩踏み出す勇気・戦略・力・知識、これらは他人から借りる事はできる。

けれど、目指すべき道は自分で決めなければならない。

 

行動以前の空欄を他人が埋めることはない。

 

まずはそこを埋めることを考えなければいつまでも落ち着かないままだ。

 

終わりに

勇気ややるきの一言で全て解決すると思っている人間なんて私は嫌いだ。

どうしてそんな無責任な一言で他人が救われると思っているのか。

 

 

……行動の果てに、行動以前の問題が解ける事もある。

行動の最中、何の為に、やどうしての理由が見つかることは多々ある。

それはただ、運が良かっただけだ。

 

闇雲に走り続けて崖から堕ちてしまうことの方が多い。

あるいは、誤魔化して到達した先でまた誤魔化して生きることになる。

そしてこれこそが自分の本来の幸福だったのだと嘘を真実として思い込むようになる。

 

 

少し、話が逸れました。

何にせよ行動しているという事実だけを見つめ、後ろから迫る脅威を忘れてはならない。

行動しているという事実に囚われ、どうしようもないところまで流されてはならない。

正しく行動しているからと言って、それが自分の幸福に繋がるとは限らない。

自分のことを考えてから行動して欲しい。

 

行動に溺れてしまわないことを切に願う。