NTRに何を求めているのか
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①「言葉」は「物語」によって定義される。
②「言葉」は「個人の願望」を映し出す。
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言葉というものは不思議なもので、
コンテンツが蓄積されるにつれてその意味や目的が曖昧になり、
その言葉が意味しているものが人によって異なるという状態を引き起こす。
それは個人が触れた「物語」が個人と絡みつくことによって言葉が定義されるからである。
※忍者と聞いて「NARUTO」を思い浮かべるのか「忍空」を思い浮かべるのか
はたまた「ニンジャスレイヤー」を思い浮かべるのかという話ではない。
よくある例を出すならば「どこまでがSFであるのか?」というやつだ。
宙のメソッドはSFであるのか、ガンダムはSFであるのか、プラメモはSFであるのか、などなど
特にアニメをSFに組み込んでしまうのかどうかは議論が大きく分かれるところである。
「視点が変われば世界が変わる」という話もあるように、
SFの視点から見た物語とファンタジーの視点から見た物語が異なった見え方をするように、
自分がどの立場から見ているのか(≒見てしまっているのか)を知ることで
違う視点への気づきや視点のドリルダウンを行うことが容易になる。
(あるいは不確かなものを確かにしたいという欲求か)
そういった言葉の定義付けには「その言葉に個人が求めるもの」が如実に現れる。
例えば、「SFとは現実に一つの嘘を付け加えた物語である」と仮定しよう。
プラメモならば「ギフティアという嘘」
雪風ならば「ジャムという嘘」
BEATLESSならば「人類未踏物質という嘘」
そういった「一つの嘘が世界に与える影響を観測したい」という欲求が現れる。
例えば、「SFとは問いである」と仮定したならば、
例えば、「SFとは超科学である」と仮定したならば、
例えば、「SFとは・・・・・・
そんな風に、言葉には個人がその言葉に求めるものが如実に反映されるのである。
そして求めるものとはその言葉に関する原風景を形作った「物語」によって規定される。
そういうわけで、言葉一つを取ってみても意味が異なるわけです。
NTRの整理
はてなキーワードより
ストーリー属性の一つ「寝取られ」の隠語。
意中のヒロインが他の男とやることを言うが、これにマゾヒスティックな快感を覚える人もいる。
主人公とヒロインと他の男の関係によって様々なバリエーションがある。
素人にはオススメできない。
以下本題。
少し前ぐらいからNTRというジャンルが流行りつつあり、今一度整理を試みる。
※今回は男性―女性―男性の関係性に限ります。
※今回はNTR(寝取らせ)は除きます。
※男性視点からの楽しみ方に限ります。
NTRに必要な役者は以下の3名である。
つまり、三者三様の楽しみが存在しているというわけである。
①女性(②と交際中)
②男性(①と交際中)
③寝取り役の男性
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<補足>
女性の立場に感情移入をして楽しむ、とは。
ケンプファーのナツル君に感情移入をして楽しんでいた人がマッチするかもしれない。
女性の立場に感情移入をすると一言にいっても、
「女性である自分」というものに興奮を覚えているものから
「女性として嬲られる自分」というものに興奮を覚えているものまで幅広く存在している。
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この三者からどのように感情移入をして楽しんでいるのかをベースに話を展開していく方法も考えたが、
今回は「NTRに求めるもの」をベースにして考えを展開していく。
NTRとなると以下の2パターンがあると考えられる。
A.NTRされてしまう状況に興奮をしている。
B.NTRを受け入れてしまう状況に興奮をしている。
A.NTRされてしまう状況に興奮をしている。
「快楽にのまれる」「男性にいいように使われてしまっている」などといったような
「ばかになりゅう」という状況に興奮をしているというわけである。
キーワードは「快楽の奴隷」である。
女性への感情移入としては、快楽の奴隷として扱われる自分への興奮が、
寝取り役への感情移入としては、快楽の奴隷へ貶めたことへの興奮が得られるだろう。
別段NTRに固執する理由はこの層には存在していない。
NTRはそういう需要も満たしている。
B.NTRを受け入れてしまう状況に興奮をしている。
キーワードは「自分の意志」である。
寝取り役への感情移入は単純明快である。
相手に背徳的な行為を自分の意志で選択させることに興奮を覚えるのである。
代表的な例は、相手に不義不徳を「自分の意志で」働かせることへの興奮だ。
「流されて~」という状況を好まないあたり、「支配欲求」が強く見受けられる。
※「聖女さえも堕落する」といったような高潔なものを自らの手で貶めることと類似しており、
針の振れ幅が大きければ大きいほどその興奮も高くなる。
寝取られ役の男性への感情移入は複雑である。
彼自身は何かを選択することは一切なく、ただ最愛の人を奪われるだけである。
そうした中で感じるものは「喪失感」にほかならない。
つまり、『識』を失った『式』に感情移入をして興奮するタイプの人間です。
※あるいは、トルネコ(いわゆるローグ系)で丹念に鍛え上げた武具の喪失。
※「ほろびゆくものこそうつくしい」とは別物です。
喪失がもたらす「空虚」の一言では言い表せない感情に魅入られた人が楽しめそうです。
あるいは、寝取られ役の男性の不幸に興奮する、
「他人の不幸は蜜の味」を地で行くタイプの人でしょうか?
寝取られる女性への感情移入もまた、少し複雑である。
不義不徳を働いてしまうことへの罪悪感や背徳感に浸るといったことは容易に想像できる。
他者を含め積み重ねてきたすべてを自分の意志で台無しにしてしまう行為への背徳感はいかほどのものであろうか。
それに加え、抑圧からの解放もまた同時に描かれる。
つまり、作中に描かれた彼との信頼や自身の欲求、自身の未来などからの「解放」がこのパターンからは得られるのである。
※「もーどうにでもなれ」というやつで、一種の破滅願望のようなもの。
NTRとは
要約すると「堕とす楽しみ」と「喪失/解放する楽しみ」の二つになる。
前者は「他者を自分よりも下に落とす行為」あるいは「他者を落とし自分を相対的に上げる行為」
後者は「自分を下に落とす行為」である。
大抵の場合は前者を描くことが多く、
後者はあくまでも前者のためのスパイス程度の役割でしか登場しない。
つまり、NTR(寝取られる)というよりもNTR(寝取る≒寝取られた女性)を求めるものが大半だということだ。
本当に誰かを喪失することに興奮を覚える変態大人は少数というわけ。
NTRを知った男性がズルズルと堕ちていくさまを求める声は少数というわけ。
多分。
何かあれば更新することにします。
メモ
「NTR」とは喪失感のことであって欲しい。
— 不在通知 (@huzai_tuuchi) 2016年2月26日
奪う側ではなくて奪われる側のことであって欲しいと、私は思う。
だって、奪う側であったならばNTRは背徳感を増す一要素でしかなくなるから。
— 不在通知 (@huzai_tuuchi) 2016年2月26日
喪失感に対して興奮を覚える
— 不在通知 (@huzai_tuuchi) 2016年2月26日
自分の心に穴を開ける行為
それこそがNTRだと、私は思う。
人というものは「属性」を眼にすると、その後ろに過去の経験から勝手な人物像を結び出す。
— 不在通知 (@huzai_tuuchi) 2016年3月21日
そろそろ「純粋な私生活」を描いた同人誌が流行る頃です。
— 不在通知 (@huzai_tuuchi) 2016年4月9日
一切の書き手の感情を排した上で、淡々とアニメキャラの私生活を描き切る。
山場もオチもないけれど、全編を通じて「背徳感」が得られるのです。
橘ありすさんのことは写真でしか知りませんが、自責の念に駆られて欲しい女の子だと思いました。
— 不在通知 (@huzai_tuuchi) 2016年4月23日