huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

まなびストレート!SAKRA―終わりの続きの作品―

少し前までは、作品が打ち切られることによって「物語が終わってしまう」なんてことがあったけれど、
最近は「終わったはずの物語の続きが書かれる」ということが増えている。

次回作に謎を持ち越す形で終わった物語ではなく、
視聴者の中で物語は終わっているはずであるのに、
物語が新たなカタチで再開させられる。

計劃された死体蹴りとかではなくて、
誰かによってその物語の続きが描かれたというわけ。
言ってしまえば「二次創作」というものに近いのかもしれない。
今回書くのはそういう作品についてのこと。

そう、これは終わりじゃない
始まりなんだ。これからすべてはここからはじまる私たちの物語
――まなびストレート

私にとって、まなびストレート!とは終わって一緒に始まった作品であった。
彼女たちと同じワクワクきらきらした風景を一緒に観て、歩き始めた。
そんな作品に続きが出るって聞いて、それを素直に喜べるだろうか。

まなびストレート! SAKRA(1) (ファミ通クリアコミックス)

終わりの続きの作品

とまぁ、マイナス方向で文章をの書きだしをさせてもらったが、
実際はそれほど悪いものではないのではないかと思います。

アイマスREXに近い感じ

描かれ方としてはアイマスREXに近いものがある。
12話の続き/合間としてアイマスREXは描かれており、
アニマスを観ていたプロデューサーには好評であったと認識している。

ただ怖いのは「蛇足」になってしまうことだけだ。
この作品の位置づけが続き/合間なのかパラレルワールドなのかは
置いておくとしても、同じことをやるのなら意味はない。

「維持は退化」といったのは誰か忘れてしまったが、アニメの頃と同じことをするだけだったらこの作品の意味はなくなってしまう。

ワクワクキラキラのその先

「ワクワクキラキラのその先」という言葉だ。
この言葉だけを取り出すと「輝きの向こう側」を想起させられる。
劇場版『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ! 』主題歌 M@STERPIECE(通常盤)

ただ、この漫画でその先を描けるのか、
描いてしまっていいものなのか、ということには疑問が残る。

メモ

ワクワクキラキラっていうのはね
みんなの中にある大切な”居場所”なんだよ
学校はそんなみんなの居場所を
もっと大きくもっと強くしていくトコロなの!
そしてワクワクキラキラのその先には
とっておきの”ごほうび”が待ってるんだよ

コモちゃん
涼乃ちゃん

ふたりの未来はどんな色をしていますか?
この聖桜学園でいっしょに
桜色の未来を探しませんか?
(まなびストレート!SAKRA p30-p32)

当てもない一年を迎えた一日目のこと

 「節目」というものは便利なもので、
 多くの人がこの機会に過去をなかったことにして、
 新しい物事に取り組み始めたりするものである。
 
 その例に漏れず私も新しく取り組み始めようと思うのである。
 こんな風にブログを書いているのがそのいい例だ。

 自分の過去から目をそらし
 当てもない未来に目を向ける

 大丈夫、みんなそんなものだろうから。

他人を見つける/外壁の構築

 過去の私が再三にわたって言い続けている内容である。

 現実世界に他人を作れないなら、仮想世界に他人を作るしかない。

 悲しいことか、幸いなことか私には他人が存在していない。
 今一度「他人」を定義するならば「私と対峙する人間」である。

 大抵の物事を避けてきた人間に他人は存在しえない。
 他人を避け、表現を避け、世間を避け、自分を避けるような人間が
 誰かと向き合っていられるわけがないというやつだ。

 自分というやつを認めているからこそ、
 その対面として他人が存在することができる。

 具体策としては、外部が認識する私の構築だろうか。
 だれかが認識する「わたしらしさ」が生まれるころには
 私が向き合っているような他人も存在しているのではないかと思う。

 自分の内側以外で楽しもうと思ったならば、どうしても外側は必要なんだ。
 その外側は「コミュ力」で作ってもいいし、「創作」で作ってもいいし、「技術」で作ってもいい。
 他人が私に求めるものが生まれれば、それが「わたしらしさ」となり他人の発生につながる。

 そんなふうにしていきたい。

一度に物語を手に入れる方法の模索

 物語とは何度も繰り返し読むものであるが、
 その物語と出会えるのは、その言葉と出会えるのは一度しかない。
 どこぞの生徒会長も言っていたように、「はじめて」というやつは大切にしなくてはいけないのだ。

 ただ世の中ままならないもので、
 読者の経験不足や感性の未熟さ、集中力のなさや記憶力の弱さなどの理由で、
 その一度きりの出会いをひどくぞんざいに扱ってしまうことも少なくない。

 なんども読んで理解するというのもいいが、
 殊物語においては、一度でその出会いをものにしたい。
 少なくとも、読者の側でどうにかできる出会いについては。

 そのためには、三つの工程が必要であると考えている。
①ベース能力の上昇(鑑賞に堪えうる肉体の構築)
 自分自身の肉体を頭脳を脳を向上させる。
 記憶できなければ、認識できなければ、物語は破綻する。
 物語に対して私がしてあげられる唯一のことだ。

②良質な経験値の蓄積
 その人を上へと押し上げてくれる物語やその人をその場にとどめてしまう物語、
 物語にはいろいろあるけれど、残念なことに物語には差異がある。
 
 その「差」というやつは「個人差」というものにすぎない。
 個人のこれまでの経験や今の状況によって、物語の価値が変わってくる。
 ある人にはクソ以下の価値しか感じられない物語に、世界を変えさせられることもある。

 だから私も様々な物語に触れていくことが必要なのだろう。
 それは小説かもしれないし、映画かもしれないし、ゲームかもしれない。
 
 とりあえずは、今宙ぶらりんになっている「地霊殿」をどうにかすることから始めよう。
 あとは、安売りで買ったギャルゲーパック?的なやつをやったり、積本状態のテキスト9を読んだり、
 後は今度こそ千早をトップアイドルにすることだろうか。

 今年は新しいコンテンツに十分な時間と金を振っていく。

③良質な経験値の加工
 経験値(エクセリア)を神の恩恵(ファルナ)で更新することでベルくんが熟練度を上昇させるように、
 我々もまた現実世界や仮想世界で得た経験値を自分で加工することで、熟練度を上げなくてはいけない。
 私はこのことに気が付くのに随分と時間がかかってしまった。

 経験というやつは「思い出す」「復習する」して加工することによって、自分のものにすることができる。
 現場から得てきた「生の経験値」の一部は身体に吸収されるが、加工しなければ蒸発していってしまう。

 現状、習熟度を高める方法としてはブログを取っているが、
 物足りないと思ってきた場合は別の方法を取る必要があるのだろうと思っている。
 そうなったときのことはそうなったときに考えたい。

そんなふうなことに取り組むことで、
一度きりの出会いを大切なものにしたいのである。

対外的な活動について

 小説は何かしら書いてみてどこかに投稿するつもりである。
 えっちいのになるのか、ただの二次創作になるのかはまだ未定だが、
 なにかしら書いてみたいとは思っているので、それをやる。

 新しい活動としては、イラストをどうにかブログに取り入れたいと思っている。
 昨年7月よりちまちまと練習し始めてようやく模写らしきものができるようになってきた。
 これが上手くいけば、ブログが文章とイラストのハイブリッドしたギャルゲー式ブログ
 のようなものができるかもしれないと思っている。
 これについては日々精進あるのみである。

 あとは他人ができたらやりたいことはいろいろと考えているが、
 それはまぁ、他人ができたときにでも文章にしてみたいものだ。

終わりに

 とまぁ、当てもない一年に対して私なりに方向性を与えてみた。
 これで多少は当てのある一年が送っていけるのではないだろうか。

 より楽しい一年がおくれますように。

行く当てもない一年を迎える前の一日

あと数時間ほどで今年は用済みで、
また当てのない一年を始めていく。

私は暁の水平線に勝利を刻みながら、この年に別れを告げるつもりだ。

明確な終わりを感じられる一日に、
去りゆく今年に思いを馳せる。

追われる一年

今年は社会に牙を向かれた一年であった。
一年前の私に「お前それサバンナでもおなじこと言えんの?」と伝えてやりたい。
今年の社会はサバンナのようであったのだから。

草食動物である私は社会に追われるばかりで、
「自分の自由」というものを上手く確保できなかったのだと思う。
なにせ今期のアニメを何一つみることができなかったぐらいなのだから。
それぐらいには余裕がなかったのだろう。

そう、今年の私には「余裕」がなかった。

仕事に対する「ノウハウ的な余裕」がなく、
職場に対する「精神的な余裕」がなく、
趣味に充てる「時間的な余裕」がなかった。

下期は特に余裕が持てなかったので、そこが来年の課題だろうか。

科学世紀のカフェテラス

今年で忘れることのできない体験であろう。
初めての同人誌販売会(?)への参加、と初めての同人誌購入。
わざわざ新幹線に乗って京都まで行ってきたかいがあったというものだ。

秘封目当てで参加したにも関わらず、初めて購入したのは阿求と妹紅の「白夜」という小説。
帰りの新幹線で読みながらひしひしと参加できてよかったな、と思ったものである。
「阿求」や「妹紅」だからこその愛なんて、たまらない。新発見!というやつだ。
「言ノ葉の行方」という阿求の小説も買うことができたので、よかった。

本命の秘封倶楽部については、小説から漫画まで買い漁ってきた。
『 』とか「宝物はめぐりに廻る」とか印象的に残っているのだろうか。
こういうのが見たかった、というやつだ。
小説だと「秘封短編」や「秘封掌編集」が神林チックで面白かった。
全部買わなかった過去の自分を呪う。

あとは蓮子がいっぱいいたり、メリーもいたりして、
同人誌の場に来たのだという気分がふつふつと湧いてくるのが面白い。
次は、コスプレしてパンダカーに乗れるぐらいには楽しめるようになりたいな。
加えて、CDとかにも手を伸ばしたい。

ブログ活動

下期あたりから余裕がなくなってきたのに比例して、更新速度が低下していた。
ただ、ブログにまで意識が向いていなかったのかというとそうでもない。

・底辺思想は疑似無敵
・感情が受動的すぎる人間は、感情を発露する方法を知らない。
・世界そのものを伏線に
島村卯月と笑顔とプロデューサー
・スクロールするインターネットは止まれない
・普通の人は世界を共有する。
・etc

上記のように一言二言だけ書かれたメモがデータ上に残っている。
いくつかは文章化されたものもあるだろうが、大半は考えることもなく放置されているものだ。

デレマスの島村卯月については一度キチンと書きたかったのだ。
セリフの書き起こしまではやったのだが、そのあたりで自己解決して文章化されなかった。
こういうのも本当は文章化しておきたかったんだよな。

そういう自分の話以外のことにも今日は思いを馳せよう。
幸運なことに、何人の方が私の記事にスターをつけてくれていたりしている。
それに対して私ができたことはつけてくれた人のブログを観るくらいしかできず、
何もアクションを取ることができなかったことが後悔の一つだ。
私にとってももったいないし、その人にとっても失礼というやつだ。

そのあたりのことも来年はトライしていってみたいなと思っている。

コンテンツの楽しみ方

今年もいろいろと楽しんできた。
書籍についてはkindleで読み始めてみた。
漫画の場合は都合がいいが、小説となると何か違和感が強い。
『慣れ』なのかどうかは知らないが、以後も意識していきたいところ。

アニメについては作画について触れてみたり。まぁ、意味は分からなかったけれど。

後は「右脳開発」だったり「絵を描く」とか「催眠音声」とかで
秘められた僕のステキパワーを開発しようとしてきたけれど、イマイチうまくいっていない。
音読とかそういうほうが、効果的だったりするんだろうか。

この辺りはまだまだ先の長い問いだ。

ぼっちの生存戦略

私が掲げる「問い」の一つであるが、
最近はその軸がすこーしぶれてきている印象が強い。

「ぼっちがぼっちのまま生きる方法」か「ぼっちが社会性を獲得する方法」か
それがいまいち確定しきれていない。

個人的には前者を押したいところだが、
技能を持たない「ぼっち」には、前者で社会を生き抜くことは困難でありそうだ。
だから、必然的に後者を押すことになってしまいそうである。

ただ、私自身が社会性を得られていない「ぼっち」にすぎないので、
「ぼっちがごまかしながら社会とうまくやっていく方法」レベルの内容になるだろうと思う。

これは私の備忘録にすぎないのかもしれない。

終わりに

今年も忘れられない出来事やコンテンツに出会うことができたことは幸福である。
そして、関わりたいと思える出来事があったということは未来への遺産だ。

今年ももうあとわずかというところだが、
だらだらと地霊殿とかプレイしながら過ごしたいと思う。
東方地霊殿 ~ Subterranean Animism.[同人PCソフト]

私の文章の書き方

私の文章の書き方は変容した。
というと、多くの人は「何を当たり前な事を」と思うだろう。

人は言葉で出来ている。
それゆえに、人は周囲の言葉に影響をされる。
良い言葉も悪い言葉も全部含めて一人の人間を作り上げる。

だから、「文章が変わる」というのは当たり前な事だ。
言葉から断絶した生活を送っているならば別だが、
普通の人は何かしらの言葉に触れて生きているから。

ただ、今回私が問いにしているの「文章の書き方」である。

文章に対する向き合い方や文章との付き合い方が
近頃、私の中で変容してきているということについてだ。

・結論を前提とした文章の書き方(企画型)
・結論を探すための文章の書き方(思索型)

今回は、自分の書き方を振り返りながら、
文章との向き合い方について考えてみたい。

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コンテンツを観る『軸』を持つ

いつまで地に足をつけないでコンテンツを観ているのか。
そんなふうだからいつまでたっても「感想」が言えないのだよ。
どうでもいいことしか覚えられないあなたに捧げる。

※今回の文章は以下の派生です。(リンク先は読まなくても問題ないです)
huzai.hatenablog.com

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