作業の邪魔になる素敵な音楽
音もSFになる
―blacksheep
音楽には2種類ある。
一つは、「何かを載せる音楽」
一つは、「世界を持った音楽」
詳しいところは追々詰めていきたいところ。
◆何かを載せる音楽
音楽に何かを付随することで一つの世界を構築する・・・
BGMとかが、こういうものに当て嵌まるのではないかと思っている。
それ単体でも一つの音楽として成立しているが、
そこに何かしらの物語が付随されることによって一つの世界を構築する。
BGMが先行していて、後から作品を知ると、その聴き方が少し変わったりする。
逆に、アニメで聴いていたBGMをどこか別の場所で聴くと、その物語が現出したりする。
こちらの場合は、
「載せる」ことが目的とされた音楽であるため、
作業の邪魔にはならないことが多い。
もちろん、
音楽によって載せやすいモノは異なってくるが、音楽に何かを+することはできる。
最近、私がBGM系の音楽を聴いているのは音楽の上に作業を載せても違和感がないからかもしれない。
◆世界を持った音楽
音楽だって言葉だ。言葉は世界を構築する・・・
「物語と一致してしまった音楽」や「物語を持った音楽」がコレにあてはまる。
「物語」という言葉を使うと曖昧になるかもしれないが、ご了承願いたい。
音楽はその上になにかをのせて「世界」を構築できる。
しかし、音楽はソレ単体で「世界」を構築することもできる。
コンテンツと結びつかずとも、一つの世界を構築できる。
音楽が近くなりすぎた結果、そのことを失念していたように思います。
「行動」や「移動」、「作業」や「学習」に音楽が結びついた結果、
音楽はなにかを「しながら」聞く対象となった。
近すぎる「音楽」は、「音楽体験」を喪失させ、「現実体験」と紐づけられるようになる。
その結果、音楽は「内側」で醸成されず、「外側」で爆発し続ける。
あるいは、「音楽」から多くのモノを削ぎ落としたなにかだけを崇めるようになる。
そうして、世界から「音楽」はなくなり、「音」だけが残った。
◆終わりに
「歌」はどうなのか、なんて話も本当はしなくてはいけない。
「声」も音楽の一部として捉えるのか、音楽に乗せられた存在として捉えるのか。
それによっては、歌はどちらの音楽にもなり得る。
加えて、「載せる音楽」というのにも疑問が残る。
音楽に何かが載せられて完成するというのならば、
それは音楽として「未完成」である、と捉える事もできる。
コンテンツから切り離して「音楽」を考えるのが、正しいのか否か。
このあたりも、いつか考えていきたい。