2本目のギャルゲープレイ中のメモ
ギャルゲー遍歴
1作品目「ever17」
状態 :クリア済み(CGおよびセリフの全回収は断念)
プレイ:数年前
2作品目「never7」
状態 :プレイ中(優夏をクリア)
プレイ:現在進行中(16/02/14)
【疑問】「私」としての選択か、「彼」としての選択か
自分の選択が物語に影響を与えるゲームをやるときに、必ず考えることだ。
アイドルマスターをプレイしていた時は、「私」としてプロデュースを続けて
千早から「もう少し踏み込んでほしいです」ということを言われたし、
アクションRPGをプレイしていた時は、「彼」としての行動をし、
世界を救う勇者に仕立て上げたこともあった。
ギャルゲーをプレイする時、
「私」はその世界においてどのような位置づけにあるのだろうか?
現状想定している3つのパターンを以下に記載した。
「使い分けるのだ」というのならばそれでいいが、
一番作品を楽しめるのはどれなのかなー、というのは気になるところ。
端的にまとめると
「主人公は、私なの?彼なの?それとも物語を動かす道具なの?」
◆自己投影型
私ならば彼女に対してどう行動をとるのだろうか。
その考えのもとに、プレイヤー(主人公)を動かすのである。
※現在プレイ中の「never7」ではこのようにプレイしている。
ポイントは、等身大の自分としての行動だ、ということだ。
私自身がその場にいたとしたら彼女になんと投げかけるのか。
自分自身と物語を絡めていく遊び方。
この派生形に、「理想投影型」というものもある。
都合の良い理想の自分としてプレイヤーを動かすやつである。
◆主人公模倣型
物語の主人公である「彼」ならばどう行動をとるのだろうか。
その考えのもとに、プレイヤー(主人公)を動かすのである。
「私ならば」という選択ではなくて、
「彼ならば」が選択の基準となるため、
より物語の意図に沿った行動をとるようになってくる。
ギャルゲーの主人公は個性を剥奪されるのが常である
なんて話もきいたりするが、実際はどうなのだろうか?
◆観測者型
物語の観測者として、時間も意思も超越して主人公を行動させる。
一定の時間が経過するとコレにシフトするのではないか、と思っている。
私が初めてプレイしたギャルゲーは「ever17」であるが、
この時、一定の時間が経過したころから「謎解き」を始める「私」が現れるようになった。
主人公からも遊離して物語を俯瞰して眺める観測者としての「私」。
「ever17」の場合、第三者としての「私」が出てくるのも当然かとも思うが、
他の作品でもそういった俯瞰して観測する「私」は現れるのかと思っている。
②【感想】想定と違う女の子に向かうこと
「never7」をプレイ中、
当初は「遙」にアタックを仕掛けていたにもかかわらず、
肝試しで「優夏」と一緒に回ったからだろうか。
いつの間にか、優夏ルートへと真っ逆さまに落ちて行ってしまった。
※そのことを理解した時は落ち込んだが、展開はよかったので結果オーライである。
③【感想】2週目以降について
ギャルゲーは複数キャラを攻略するものであり周回を前提にしている、と思っている。
だからこそ、物語の初めてを捧げるキャラクターというのは大切になってくる。
何故かというと、物語に出会えるのは最初の一度だけだからである。
2週目以降になると未来を知る人間としての「私」がその出会いを邪魔する。
時間軸を束ねて一つの物語に昇華させる作品になると、
どうしても他のルートに知識や経験が私を主人公から引きはがしてしまう。
つまり、主人公と私の間に「認識の乖離」が起こってしまうんだ。
物語上「未知」である事柄を私は「既知」として捉えてしまう。
1週目と同じ内容の会話。
1週目と関わる物語の謎。
1週目の彼女がチラつく風景・・・・・・
その世界で感じる出来事に何かしらの「既知」が差し込まれる。
それは、物語に対しての「新鮮さ」を損なわせる。
だからこそ、物語の初めてを捧げるキャラクターは大切なのだ。
【感想】言葉の波が顕著である
ギャルゲーというものは言葉の波が強いのではないかと思っている。
「言葉の波」というのは、彼ら彼女らが話す言葉の抑揚とか
そういう感情をベースにした揺れ動きのことはもちろん、
認識とのズレとか引っ掛かりを含んでいる言葉である。
「実体を感じさせる」というのがイメージとしては近い。
一人に割り振られるセリフが多いからなのか、キャラクターにも波が出ているし、
彼ら彼女らが話す言葉自体が生きたものとして感じられる。
ありふれた言葉だが、
彼ら彼女たちが「生きている」のだと感じさせられる。
世界を包む/世界を貫く「謎」が中心に据えられている作品でさえそうなのだから、
人を中心に据えている作品ならばより強くそのことを感じさせられるのだろうな。
【感想】時折キャラクターが消える
アニメや漫画とは異なり、その場にいるすべての人間が描かれるということは少ない。
大抵画面上に(同時に)現れるのは、1人~3人くらいであるのではないだろうか。
そのため、長いこと会話に参加しないキャラクターが現れると、
「あいつはどこにいったのだろうか」ときょろきょろとあたりを見回す必要が出てくる。
描写の問題なのか仕込みなのかは知らないが、
居るはずの人間が視覚的に現れないというのは少し新鮮だ。
参考
- 出版社/メーカー: サイバーフロント
- 発売日: 2008/10/09
- メディア: Video Game
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