huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

未来に向かう物語/打ち上げ花火、横から見るか?上から見るか?

――その思い出があれば、生きていけると思ったから。

以下、感想・・・・・・?
というよりも、こうだったらいいな、って。

映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』オリジナル・サウンドトラック

なずな

 彼女はまるで花火のように描かれる。
 一夜で終わること、時折引き込まれる魅力を放つこと、レールの上にいること等。
 
 だからこそ、彼女にとってはこの世界が偽物であるかどうかとか、本物であるかなんてことは関係なく、
 夢みたいな一日を、想い出に残るような一日が過ごせたらならば、それでいいと思っていた。



 

過去を悔やむのは未来を失ったときだ。

 少年たちと違って彼女は失われる未来を知っているつもりだった。
 「つもり」だから、彼女は少年たちよりも「大人びていた」けれども「子供らしさ」があった。

 引き込まれるような表情や仕草の合間に子供らしさが垣間見える。
 一緒に乗った列車の中ではまさにそのイメージが強い。

 大人に変わる前の少女。
 それが、なずな。
 

未来が決まっているのなら、

 そういう風に失われる未来を知っているつもりだった彼女だから、
 ああした間違った世界だと突き付けられたとしても「それでも君と一緒ならいいよ」なんてことを言えたのだ。
 例え今が偽物でも本物でも、今日は明日に繋がらないから。
 

可能性の世界に魅せられて

 そう思っていたのだけれども、
 彼女は自分が望んだ可能性の世界を目にしてしまう。
 今日が明日に繋がって、明日は明後日に繋がっていく、そんな世界を。
 
 だから、彼女は静かに涙を流した。

そうして円は結ばれる。

 

次に会えるのはどんな世界かな・・・・・・

 主人公は作中でフィクションを否定しながら彼女と歩く。
 けれど、なずなはそんなフィクションを肯定してくれる。
 そして、一夜限りのフィクションを二人は肯定する。
 そのフィクションは現実によって破壊される。

 けれど彼女は砕け散ったフィクションを口にする。
 打ち上げ花火の中で二人だけがみた、
 未来のフィクションを。
 少女らしい約束を。




感想

 彼と彼女あの直後にどうなったのかは分かりませんが、
 二人が到達する未来はあの時に見たような世界であってほしい。
 なぜなら、私はハッピーエンド星人なので。


以下感想箇条書き
・本当に失わなければ行動できないなんて、想像力を欠いた我々のようではないか。
・幼い戦場ヶ原先輩
・もしもなずなが「失われる未来」を誰かと共有したかったとしたら、
自分の好きな人にその傷を一緒に味わってほしかったとしたら、それはそれでいいですよね。
・円を意識した演出から「円環の理」のワードがチラついてしかたがなかった。
・大人な彼女が魅せる少女性はいいですよね。
偽物語に食われた物語
・"君はそのイリュージョンによって、ここに立っているのさ"
・幕が下りた後に聞こえた言葉は「よく分かんなかった」と「俺はイイと思ったよ」の二つでした。
・シャフトだから・・・・・・なのか、どうしてもほむらの「ねぇ…」のあのセリフが頭から離れない。
・初めて視線を交わした場所

ゆんゆんから学ぶべきただ一つの真実

「大体、子供の頃からああなのです。誘いを断わられるのが怖いのか、家のドアをノックして、あーそーぼーと言えば良いだけなのに、それが言えず。昼ご飯を食べた後は夕方まで外を一人でウロウロし、偶然知り合いに出会い、遊ぼう? と誘ってもらえるのをジッと待つ子でした」
この素晴らしい世界に祝福を!

結論。
無能なぼっちは有能なぼっちになったとしてもぼっちのまま。
 

人間未満

私は汽車を見るのが嫌いであった。特別ゴトンゴトンという貨物列車が嫌いであった。線路を見るのは切なかった。目当てのない、そして涯のない、無限につづく私の行路を見るような気がするから。
――白痴 いずこへ


私のように周囲に頼りのない人間は、常日頃から「此処にいてもいい理由」を求め続けている。
私のように周囲に頼りのない人間は、常日頃から「持てないものを尊く」捉え続けている。
私のように周囲に頼りの無い人間は、常日頃から「ちゃんとした人間になりたい」と思っている。


エピグラフに使用した白痴の文言の中に次のような言葉がある。


「年齢と仕事の空虚を考えてその頃は血を吐くような悲しさがあった。私はいったいどこへ行くのだろう」


私は玉藻ちゃんと同じく誰かが引いたレールの上でも走っていたかった。
他者が求めて、それに応じることができればそれで私は私でいられたのだから。

けれど、それでは立ちゆかなくなるのが人間というものだ。
どう足掻いたところで膨らみ続ける期待(他者からの期待と、自分で勝手に膨らませる期待)に答え続けることはできないし、
それ以上に「私にできること」のほとんどは「誰かにできること」であるので、期待の切っ先は常に私を向き続けることはなく、
何かの拍子に走り続けていたレールを外されてしまうものなのである。

そうしてレールから転げ落ちた人間に待っているものはGAME OVERだ。
肉体的に死ぬわけでも、社会的に死ぬわけでもないが、ただ精神的に終わってしまうのだ。一度。
コンティニューすればいい話・・・・・・かもしれないが、レールの上を走り続けている人間にはそうしたクレジットが残されていることは分からないものである。そして、もしそのことにうっすらときがついていたとしても、シューティングゲームのように持っていた武器が全て失われてしまい、先に進むことが不可能になる・・・・・・なんていく錯覚に囚われる。

世界を救うには常にBダッシュのノーミスで。
なんて風に一度の失敗=ゲームの終了と考えてしまうわけである。


そういうことを考える度に私は思ってしまうのだ。
「ちゃんとした人間」であったならば、私はこんなことを考えずにすむのだろうかと。

言われようのない空虚さに殺されてしまう前に、私はちゃんとした人間になりたいのである。

以下コンテンツ
・尊く綺麗なビー玉を。
・魂の辿り着く先。
・私は私になりたい。

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【感想】魔法少女育成計画

魔法少女育成計画

無価値なものはあっても、無意味なものはない・・・・・・はずだったのだけれど、
蓋を開けて全てを並べてみてみるとその内のほとんどは無価値で無意味なものだった。
ソーシャルゲームと同じで行為そのものを目的としているようなそんな作品。

本当は1話ずつ感想を書いていこうかと思っていましたが、
想像していた以上に少女達が戦うだけであったので書くことがなかった。

以下感想。

少女同士が無意味に闘うだけの物語

 私は1話を観たときにこんな感想を書いていました。
 

 【魔法少女には悲劇が似合う。】

 開幕から血の海をみせつける辺りに、「この物語はダークファンタジーです」っていう明るい魔法少女の話ではなくて暗い、夜の魔法少女のお話ですよーって自己紹介をする。魔法少女の悲劇を始めに魅せることで、彼女達の日常が「ニセモノ」であることが視聴者の中で決定づけられる。
我々は何気ない日常の中で膨らみ続ける爆弾がどこにあるのかと、その爆弾はいつ爆発するのだろうかと、我々視聴者は緊迫感を持って見せ続けられることになる。

 つまり、きゅうべぇが言っていた「少女の希望が絶望に転換する瞬間」を我々は今か今かと待ち続けることになるのだ。
 それは我々を彼女達の立場から切り離し、「観客(≒視聴者)」の立場に貶め、少女達の悲劇を楽しむ下種な人間にする。
 
 あのカットを最初に持ってきたのはそういう意図があるのではないかと思う。
――【感想】魔法少女育成計画 1話 夢と魔法の世界へようこそ!

 終わってみるとまさにその通りで、
 悩み苦しむ少女たちの姿に感情移入して「うんうんそうだよね~わかるー♪」ということは一切なく、
 ただ、少女達がバトルロワイヤルをする姿を楽しんでいただけであった。

 少女たちの背景はそれぞれの少女の死を彩るためのスパイスでしかなくて、
 それによって引き起こされる「感情」よりも「事実」が重要視されており、
 Aが倒れることでBが、BがCを倒すことで、Dが、といったように少女たちの「死」は連鎖している。
 少なくとも、スノーホワイトを除いた少女たちはそういった「死の連鎖」に巻き込まれているわけです。
 
 といったような、「少女達の行為」に主眼が置かれているのが本作だったのかな、と思います。

とはいいつつも、

 ハードゴアアリスちゃん、ラ・ピュセルちゃんはとっても可愛いかったですよね!
 
 
 ■ラ・ピュセルちゃん
  男の子でありながら魔法少女に憧れるラ・ピュセルことそうちゃん。
  女性らしさの中に男の子のパーツ(卑猥な意味ではない)を兼ね備えた強力な魔法少女
  登場人物の中では一番「飾っていた」少女だと思います。
  
  キャラメイクは自分で行っているはずなので、
  そうちゃんの考える女性像がラ・ピュセルには反映されているはずで、
  あの竜剣士的な格好の中に込められた乙女の部分がそうちゃんから出ているわけです。
  
  まぁ、だからなんだという話ではありますが。
 
 ■ハードゴアアリスちゃん
  可愛い。首だけ持っていったら困ったように追いかけてきそう。

  でも、魔法少女になっても痛覚は残ってるはずだと思うけれど、
  硫酸掛けられたり、燃やされたりしても大丈夫なのはなぜだろうか。
  本当は痛いけれども我慢しているのか、無痛症だったりするのだろうか。
  
  あと、スノーホワイトと二回目(魔法少女として)に出会ったときに謎の動きをしていたのも可愛い。
  素直にコミュニケーションが取れない感じが可愛い。
  スノーホワイトに延々と褒められて、逃げ出して欲しい。

最後に

 何が正しいかは本人次第さ
 魔法少女は人間社会の法には縛られないからね。
 ――魔法少女育成計画 1話 ラ・ピュセル

彼女は、この後どうなるんだろうな。
何を『正しい』として魔法少女で在ろうとするんだろうか。
理想だけで取りこぼすものがあることを知り、力を求めた彼女は。
「清く、正しく、美しい魔法少女」であれるのだろうか。

魔法少女育成計画 (このライトノベルがすごい! 文庫)

魔法少女育成計画 (このライトノベルがすごい! 文庫)

【感想】魔法少女育成計画 2話 マジカルキャンディーを集めよう!

魔法少女育成計画

清く正しく美しい魔法少女であるためには、
他の魔法少女を蹴落とさなくてはならない。
でも、そんなものが本当に魔法少女・・・・・・なのかな?


■概要
ファヴからこの街に増えすぎた魔法少女を半分にするために、
毎週一番マジカルキャンディーが少なかった少女を脱落させるという新ルールが策定される。
姫河小雪ラ・ピュセルと協力しマジカルキャンディーを集めるが・・・・・・

試練は乗り越えられるものだけに与えられるのだ。

 最高の魔法少女に必要な能力を鍛える為に、それぞれ試練が容易されているのでは、と思う。
 現状の段階では魔法少女として求められる「他人を助ける」という能力が試されている。
 
 おそらくこの後には、守護者として「戦闘能力」であったり
 仲間よりも民衆を助けるための「非情さ」であったり
 
 そういった何かしらの試練が容易されているのかなーって思います。

ねむりん

 人間としてはとってもいい子だったけれど、魔法少女としてはいい子ではなかったんですね。
 夢の世界で誰かを救ってあげていたのならば、それもまた当人にとっては救済であると思えますが、
 ファヴが求める魔法少女とは、現実で誰かを救うことのできる人間だということでしょうか。
 
 もし、そうだとするならばなぜそんな能力をねむりんに与えたのだ、となりますが、
 この試練を乗り越えられたならばこの能力が別の場所で役に立ったのかもしれないのかな、と。
 
 それにしてもマミさんの時と同じで、ようやく前に進む決意をした直後に
 理不尽な死を与えられるのは精神的に来るものがあります。