huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

無能な社畜は鬱になれない

 


 社畜という言葉に明確な定義はないけれど、下を見下ろしてばかりいると正気を見落とすらしいので。ここでは社畜とは精神状態ということにしておく。労働時間が×時間以上とか、サービス残業をしているとかそういう時間に関する定義や毎朝社是を絶唱するとか謎のランチミーティングが発生するなどといったことは条件から外し、ただ自分が、社会の畜生になっている・・・・・・という感覚がある人を社畜としておきたい。

 


 そしてそうした社畜をターゲットに労働力を収集しようと簿膨大な広告が世に放たれている。社畜はあのクソみたいな広告につられる前に踏みとどまって欲しい。そして、考えて欲しい。お前を欲しがる会社がどこにいるのだ、と。

 


 優れた社畜は「成果」を褒められ、無能な社畜は「精神性」を褒められる。前者はワーカーホリックと呼ばれ、後者が正しい意味での社畜と呼ばれる。そして、労働力を食い物にする業界においては後者のタイプの社畜が尊ばれるのである。というのも、若い労働力は比較的に低コストでさらに無能とくれば昇給も余り見込まれず、数年の間に自己都合退社に追い込むような激務を課し、その裏で新入社員を雇えば、低いレベルで給料水準を保つ労働力のスクラップ&ビルドが成立する。こういう会社のえぐいところは労働能力ではなく純粋な労働力が求められるところであり、社畜は成果を上げることができず、本当の意味での「うちを辞めたところでどこにも就職できんぞ」という状態が発生する。(ただし、自己都合退社に追い込むレベルの激務を乗り越えた人間は「優秀な社畜」として成果を上げる側に回り、転職チャンスが与えられる)

 結局のところ仕事における明確な評価基準というものは数値や言語化できる成果にしかなく、過程というものは往々にして認められることは少ない。(難しいクライアントから1つの案件を手にするエピソードよりも、簡単なクライアントから10の案件を手にすることの方が評価される)しかし、その働く社員が無能である場合にはその過程・・・・・・つまり精神性を褒めることしかできなくなり、無能な社畜が社内で膿のように溜まっていくのである。これが俗にいう大企業病である(大嘘)。

 


 地獄への道は善意のアスファルトで敷き詰められている・・・・・・とは誰の言葉であっただろうか、今はもう思い出せないが、無能な社畜という道もまた同じような構造になっている。社会的に働く能力のない無能を救うセイフティーネットは蜘蛛の巣で、使えなくなるまで使ったらぐるぐるポイで捨てられる。普通の会社に入社しても、成果を上げられない無能な社畜は実績を積むことができず転職できる能力もなく、昇級できる見込みもないまま死んでいく。

 


 新卒という貴重なカードを失い、社内で実績も作れずに転職できる力を得られなかった人間にできることといえば、与えられたその小さな小さな一人分の日だまりにしがみつくしかないのである。もちろんその日だまりには二人はちょっと入れないので結婚することはあきらめるしかないない。鬱にでもなろうものなら自分のいた日だまりには新しいガラス玉がおかれ、自分は外にはじき出されて砕け散っていくことになる。そして、自分の労働力としての有益さを最大限に立たせる為に、残業やサービス残業といった+αの労働を自分に課していくのである。それが好きでやっているのならばいいのだが、社畜だと想いながらやっている場合はどうしようもない。

 

 

 

 つまるところ、無能な社畜は鬱になれない。

 

 

 

 巷でよく聞く「3年経ったら転職」というやつは「3年も働けばその業界のことが分かるから」という意味以上に、「3年も働けば何かしらの実績がついて転職できるから」という言葉があるように思えてならない。というよりも多分そうだ。

 


 この地獄から抜け出す方法は自分殺ししかない・・・・・・となると余りにも救いがなさ過ぎる。だから、考える。一つは労働以外の手段で賃金を得るということ。仕事と生活費が紐付いてしまっているからこそ、鬱=退社=死となってしまう。労働以外で金銭的に自由になる手段と言えば、「宝くじ」しかなくなってしまう。特に無能者は株やFXなどに割けるだけの時間も能力も持っていないので、一発逆転、ワンチャンあるぞ!と宝くじ売り場に駆け込む。言い換えれば神頼みというものです。

 しかし、それでもどうにもいかんぞとなれば、やはり「転職」するしかないのでしょう。もちろん、転売などをはじめとした副業を始めることも全然ありなのだが、それでは現業が死んだままになってしまうので難しい・・・・・・というか、現業がママならないのに、それ以外のことで成功するなんて甘い考えすぎる。

 

 ここまで来ると「転職しか道がないが、転職するための実績がない」という事実が明確に見えてくる。ドラクエでも転職するためにはレベルを上げなければならなかったように、今の無能な社畜のままでは転職できないのである。(転職できる会社があるとすれば「レベル1でも構わない」か、「本当の天職」のどちらかだろう)そこから導き出される結論は「レベルを上げろ」しかなくなり、圧倒的成長を求める意識高い系になるだけとなる・・・・・・が、それができないから無能なわけで、これでも救いがない。

 とすると、後に残るのは「他人に話せる実績作り」となる。社会人になってから発生すると言われる同窓会というイベントでは「俺××の仕事やってんだぜ」と業務内容によるマウント合戦が発生すると聞いたことがある。このマウントと同じ、というと響きが悪く辛い気持ちが高まるが、この意識が大事なのである。「今やっている仕事内容で他人にマウントとって話すためには何が必要か」ということを考えながら仕事をすると、「相手から見てすごい仕事をしているやつ」のように見せることができるようになる。これがあると自分の仕事が話しやすく、同じことをやっていてもトクをすることができるようになる。逆にこれをやっていないと「自分の仕事をうまく話せない」ことになり無能者としての意識と辛みだけが増していく。

 もちろん、こうした行為に対する「気持ち悪さ」を感じることは多分にあるので、私自身やりたくない。ただ、年がら年中「ぎょーむがつらい」と呟きながら出社するくらいならこういうことをやってでもその社から脱出するしかない。

 

 

 

もちろん不安だってあるわ。

冒険の先に何があるのかは誰も分からないから。

でも、不安は分かち合えるって、一緒に立ち向かえるってわかったから。

だから、前に進もうと思えるの。

 

 

 

島村さん選んでください。

このままここに留まるのか、

可能性を信じて進むのか。

どちらを選ぶかは島村さんが決めてください。

 

 

 

 


・・・・・・まぁ、社畜の転職先に待っている人などいませんが。

【感想】僕らは白銀武になれなかった/マブラヴオルタネイティブ

とてもちいさな、とてもおおきな、とてもたいせつな、 あいとゆうきのおとぎばなし

 

――僕らは白銀武になれなかった。

マブラヴオルタネイティブ(以下オルタ)ではプレイヤーと白銀武が完全に切り離されて、一連の物語を当事者としてではなく「視聴者」として「視聴」させられることになる。

僕らはまるで映画か何かを見せられるかのような気持ちになる。

僕らの感情は置き去りにして。

 

おとぎばなしで幸せになれるのは登場人物だけで、

それを聴いていたヒトは幸せにはなれない。

 

それが、マブラヴオルタネイティブ。

マブラヴ オルタネイティヴ(全年齢版)

コンテンツ

■僕らは白銀武になれなかった。

御剣冥夜は変わらない。

■感想

 

僕らは白銀武になれなかった。

白銀武がオルタで日本人ではないことに悩んだように、

僕らは白銀武ではないことに悩み苦しんだ。

EXTRA~オルタまでの一連の物語のおいて鑑純夏への愛の中心は「過去」にある。

冥夜の登場とともに、積極的になった(ならざるをえなかった)鏡純夏が行動することによって、それまでの想い出が想起され鑑純夏√に到達する。

 

それはつまり、他の登場人物とは異なり「プレイヤーの体験=想い出」ではなく、「プレイヤーの知らない想い出」だけが彼と彼女の間に育まれているわけであり、それだけが彼と彼女の愛を構成していることになる。

 

個人的にはそれが一番ショックだったんですよね。

オルタは鑑純夏の物語で、プレイヤーの感情は関係ないと言われたみたいで。

 

EXTRAやUNLIMITEDでは少なくともプレイヤーとして「意志」を反映する場所がゲーム内に存在していたのですが、オルタではプレイヤーから「意志」を剥奪し、ただの視聴者に貶められる。その上、物語の中心にある感情は「プレイヤーの知らない想い出」であり、一切の感情移入が不可能になる。

 

つまり、僕らは白銀武の原点に触れられない。

 

そうなると、彼と彼女の感情は置き去りにしてただ戦場で繰り広げられる「意志」に注目をして、「成長」とかなんだとか語り始めてしまう。圧倒的成長↑↑を求める意識高い系の慰み者になるくらいなら、この物語は終わってしまえばいい。EXTRAでも十分に白銀武は成長していた。

 

 

 

御剣冥夜は変わらない。

オルタを始める前日までEXTRA彩峰√で冥夜が振られるシーンを繰り返し見続けていたのですが、オルタでも冥夜は変わらなかったですよね。もちろん、過ごしてきた環境が違うので異なる部分は多少あれども、その根本にある話し方や考え方、関わり方は変わっていなかった。

 

「御剣として生きていたならば絶対に知り得なかった、何ものにも代え難いものを・・・・・たくさん手に入れることができたのだ・・・・・」
「人との出会いは、どれも大切なものだ・・・・・」

EXTRA彩峰√の冥夜

「これで、ここにいる理由もなくなってしまったな・・・・・」
「冥夜・・・・・おまえ」
「何も言うな。はじめから決めていたことだ」
「・・・・・」
「明日にでもいなくなるというわけではない・・・・・」
「・・・・・冥夜」
「そなたが選んだ道の行方、見届けたいのだ」
「・・・・・え?」
「この私をそでにした男がふられる姿を見ることができるかも知れぬのだぞ?」
「お、おまえな~」
「ふふふ・・・・・」
「こういうときに、そういうこと言うかよー?」
「・・・・・ゆるすがよい。
私とて弱さを持ち合わせているのだ・・・・・」

EXTRA彩峰√の冥夜

「そのようなことは些事だ。
今はそなたがどうしたいかが問題ではないのか?」
「え?」
「・・・・・・何かに怯えて遠慮しているフリをするのは簡単だ」
「・・・・・・え?」
「踏み込むことで相手に迷惑がかかると思って逃げることは簡単なのだ・・・・・・」
「・・・・・・冥夜」
「だが、それでも・・・・・・・・・・・・自分の気持ちにウソをつけぬから、私はここに来た」

EXTRA彩峰√の冥夜

 

EXTRA彩峰√の冥夜をざっと見返してきたのですが、

何となくオルタで現れた言葉や思想の根本はここにも表れている。

もちろん、「意思」が現れ「結果」が死として残る戦場ほど重たく鮮烈なものではないですが、それでも言っていることは同じです。私にとっては。

 

感想

冥夜に会いたくてオルタを購入したので、これであればEXTRAだけでよかったなー。

異なる物語(オルタネイティブ)であってもそこから得られるものは同じだから。

 

正直な話、EXTRA~UNLIMITEDまで冥夜√を駆け抜けてきた関係もあり、いきなり白銀武が「俺は鑑純夏が好きなんだ・・・・・・」とつぶやいた瞬間に完全に醒めた。

 

その上、「今、純夏に会うのは辛いから冥夜に会って遊んでから振って、純夏のところに行こう」と考え出した時点で、俺とお前は別人だと気が付いた。

 

そこからはロクに感情移入することすらできず、プレイヤーから完全に視聴者に移り変わった。多分作者はエロゲーではなく映画か何かでも作っている気分だったんじゃないかな。

 

そこから「甲21号作戦」から「桜花作戦」まで続いていくのだけれど、

面白いくらい簡単に(というと失礼だが)登場人物が死んでいく。

白銀武も視聴者もちろん悲しんだりしているわけではあるのだが、

その一方で軽く扱われた「死」に慣れてしまいそれほどの感情が揺れない。

 

 先にオルタネイティブをやっていればまた、別だったのかな。

私にはこの物語は不必要だった。

この物語に情念はなく。 星明かりグラフィクス 1巻/感想

帯の文章に騙されてはいけません。

これは美大ではなく大学生の日常です。

 

星明かりグラフィクス 1 (HARTA COMIX)

 

概要

思春期特有の豊かな感受性が負の方向に爆発して、人が泥の固まりにしか見えなくなったデザイナーの星。

 

美大って才能を磨く所じゃなくて本当に才能のある人間とコネをつくる所だ」というプロデューサー気質の明里。

 

美大という場所を中心にして描かれる、二人の女性が各々の都合で利用し合う関係を描いた物語。

 

感想

虎が出ると思っていたら猫だったみたいな状況がまさにこの本。

美大×女性×女性=感情、そういう何かを期待して本を手に取ったものの、

そこに描かれているのはただただ二人の大学生が利用し合う日常だけだった。

 

少なくともこの1巻では、

天才と凡才、コミュ障とリア充、デザイナーとプロデューサー、

そういった作品に込められた対立構造が活かされる場は殆んど存在しておらず、

その上彼ら彼女らの感情の一切が(というとオーバーだが)描かれない。

 

友達の友達の話みたいなもので、

「そういう出来事があったのだ」と認識することはあっても、

そのことについて深い興味が得られるようなことはない。

 

 

 

2018年の終わりに向けて

ブログとは言葉の集積です。

私が話す言葉とは私の死骸のことです。

ブログとは私の墓石です。

 

――墓標に何を添えればいい?

 

死骸は腐り、虫がたかるもの。

人間の内側には話されなかった言葉の死骸が積もっているもので、

そのまま放置しておくと、あなた自身が死んでしまう。

 

普通に生きている人であるならば、

きっと普段の会話で充分な言葉が殺されているのでしょうが。

 

言葉を殺して殺して殺しつくしても、

結局帰ってきてしまう言葉というものがある。

私が進んでいないということでもなく、貴方が前に進んでいるのでもなく、

それはただ、呪いなのです。

 

繰り返し話された言葉が呪いになるように、

殺しても殺して殺しきれない言葉はきっと呪い。

あなたの、わたしの、身体から、逃れない、言葉。

 

それは別名個性というものでして。

 

あなたにとって、わたしにとって、大事なものなら、

どれだけ、何度、捨てたって、帰ってくるものです。

 

だから、――あなたを捨てることを恐れないで。

 

異世界スマホはネット小説の集大成

「いや、若いのはいいと思う。若者は馬鹿だが、だれもそれを馬鹿にはできない。だれもがかつて一度は馬鹿だったわけだからな」
ライトジーンの遺産


話題になっていたので11話だけ見てみましたが、
モバゲーからなろう、にじふぁん、ハーメルンアルカディア・・・・・・
それらで発生していた主人公属性と設定が展開されていたため『本当に懐かしい』って感じでした。

きっと、この作品が数年前のなろうに投稿されていたとしたら
日刊ランキング上位に入っていたのではないだろうかと思えるくらいにかつて流行った属性が盛りだくさん。
古き良きネット小説の集大成みたいな感じ。
(ここでいう「ネット小説」とはエタった※1作品達のことです。恋空の文脈でもお兄様の文脈でもありません)




・・・・・・そんなアレやコレやを思い出しながら書いていく。

主人公の服装

中学生のオタクが憧れる要素の一つにはロングコートが必ず入る。
ハレハレ愉快が流行っていた時期の冬になるとキョンみたいなコート※2を付けた学生が大量に発生していた。
そうして彼らは決まってこういう「・・・・・・やれやれ」と。


だが、今回の主人公の服装はそういうモノではなくて、
どちらかというとキリトさんの方向に近いような気がしている。
ファンタジー系特有のアレである。

『アレ』とはマントである。
魔法を使った際の衝撃破でたなびくマント。
目にも止まらぬ速度で動いた際にたなびくマント。
ファンタジー世界の総てを司るマント・・・・・・

そのマントを現代化するとロングコートになるわけである。
現代人らしさを残したままファンタジー世界でもカッコいい服装となるのがロングコート。
魔竜院光牙さんだってそういう服装をしている。

ロングコートは現代人に許されたラストファンタズム―最後の幻想―なのである。

それを身につけているあたりが、ネット小説っぽい主人公の所以である。


また、胸元が"◇"のカタチにくりぬかれているところもGOOD!
彼の英雄『エミヤ』のインナーも相当イカしていますが、
それに並ぶとも劣らない服装がベリーGOODです!
以下参考画像
2way 抱き枕カバー Fate/stay night FateGo Fate/grand order FGO アーチャー ランサー クーフーリン エミヤ

こういうド直球の「厨二病の服装※3」っていうのは最近本当に少なくなってきていて、
それこそ「このすば」とか「RE:ゼロ」とかであったようないわゆる「普通の服装」が多くなっていた。
そうした中でこういう恰好で現れるのは凄い強いです。

主人公の名前

ネット小説の通例ですが、字面が強いとキャラクターも強くなるものです。
なので、「燈夜」か「刀夜」とかだろうと思っていましたが、
「冬」に「夜」で"とうや"なんですね。

思ったより普通じゃないか。
ここは特筆することはないです。

主人公の特性とその設定

ネット小説の通例その②です。
過去のなろうの系譜で多かったのが「属性のあるファンタジー」でした。

少し前にアニメ化したお兄様みたいに個々が魔法を設定するようなものではなく、
ファーストキスから物語が始まる世界の「火・水・風・土」等の系統属性が存在する設定が多い。
そして、そこに加えられることが多かったのが「闇」と「光」の属性だったり、
失われた古代の属性とか「無」とか「次元」とかそういうものだったりした。※4

そして、属性を調べる方法の多くは『水晶に手を当てること』である。
ネット小説の主人公たちは『水晶が虹色に光る』とか『水晶が割れる』とか、
そういう普通とは違う性質・・・・・・つまり、水見式でいう特質系みたいな感じになるわけ。

この主人公は「全属性が使える」ようなので、
多分きっとそういう感じの何かがあったんじゃないでしょうか。

鈍感系主人公

「顔が赤いけど……熱でもあるのか?」
「(ヒロインの照れ隠しをみて)また、怒らせちゃった!?」などなど。

過去のネット小説では当たり前に流行していた鈍感系主人公であるが、
「え?なんだって?」で代表される小鷹兄貴のカウンターパンチによって終焉を迎えた・・・・・・はずであった。
けれど、この作品は普通にソレをやってのけている。

鈍感系主人公の王道を往くような様には尊敬の念を抱かずにはいられない。
恐らく主人公はストレートに「好き」と伝えられても、
「(家族として、友達として)俺も好きだよ」って返すのだろう。

だからこそ、今回の「ディープなキッス」、つまり言葉ではない行動※5を受けた際に、
どのような言葉を返すのかが一番効果的なのである。

ハーレム設定について

昨今の日本では「シェアエコノミー」なんて言葉が流行っています。
車をシェアしたり、家をシェアしたりするのが日本で行われるシェアです。
(薄い本でよくシェアされるのは・・・その先は言う必要ないですよね。
自分で考えてみてください。※6)

ネット小説ではよく「主人公がシェア」されます。
この「シェア」の発想は大きく二つの方向から発生します。

一つは、
「××様は一人の女性で独占できるようなお方ではない」
という「一人では満足させられないから」というもの。

もう一つは
「××様は鈍感ですから"共同戦線"といきましょう」
個別で攻略していても埒が明かないため、複数人で攻めようというもの。
この後に続く言葉は「誰が選ばれても恨みっこなし」というやつだ。

どちらにも共通して発生するイベントとしては、
誰かが抜け駆けをして「私もまだシテいただいていないのに~」と連鎖爆発するパターンです。
こういうイベントが発生することによって、普段素直になれないヒロインが自爆する形で
自身の感情をストレートに曝け出せるようになるわけです。

主人公が『ナオンはすべて俺のモノ』と鬼畜の所業を繰り広げるハーレムではなく、
ヒロインが『主人公は私達のモノ』と他者から求められるハーレムになるのである。
実に王道である。

ヒロインについて

「きょうび、おっどあいなんてはやんねーよ!」
とか言われそうな感じがするほどに、オッドアイ属性が懐かしい。※7

ラウラとかがオッドアイだったりした気がするが、
最近では本当にオッドアイが少なくなったように思える。

それはさておき、ヒロインが属性化されている感じがすごくイイ感じである。
オッドアイ」とか「ツンデレ」とか「貴族」とか「研究者」とかそういうの。

『このヒロインとは?』と聞かれたときに一言で言い表せるヒロインは最近少ない。
最近は、より設定を複雑化する傾向にあるため一つのラベルで済ませるヒロインはかなり減った。

なろう小説特有の・・・・・・

今回目立った台詞はコレである。

「女になれた妙に優し過ぎるフェミニスト気取り」

これは今回の主人公が流行る前に流行った主人公属性である。
言ってしまうと、「このすばの御剣さん」である。

なろう小説特有の過去の流行の否定であるが、
今回の主人公も十分そのタイプであるような気がする。

終わりに

台詞回しを含めて既視感が漂うあたりホンモノである。
この作品をみれば「なろう作品10作品分」くらいの属性価値がある。

後は、「過去に虐待を受けた実家(≒貴族階級)へ復讐しに戻ったSランクの主人公」とか
「評価されない特化した能力(魔法世界の斬術や防御、支援魔法のみ)の主人公」とか
「魔法学院で普通でいようとする最強系無気力主人公」とかを読んだりすれば終わりである。

まったくもって終わる必要はないが。

追記
ググってみると、なろう小説だった。



※1エタった(る)とは、エターナルすることの略称。
エターナル=永遠=終わらない=完結しないということで、
作品が完結することなく放置されるということを指します。
  エターナルフォースブリザード(相手は死ぬ)とは別物のようです。
※2気になる方は「ロングコート キョン ハルヒ」で検索。
※3ここでいう厨二病の服装とは「魔竜院光牙」系のファンタジックなものですが、
  実際の厨二病は「髑髏」とかが出てくる「黒×銀」のイメージの服装です。
  腕にシルバーを巻く感じですね!
※4考え方はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと同じようなものです。
※5「言葉ではない行動」に関して最高のエピソードは「彩峰」だと思っています。
  言葉は確かめられないから身体で確かめる・・・・・・みたいな。
  自分の身体をそういう手段みたいに言ってしまえることが彩峰らしくてすごく好きでした。
※6例のソレ
※7蒼星石可愛い。