huzai’s blog

「ぼっちの生存戦略」とか「オタクの深化」とかそういうことについて考えています。

偽物は本物を遠ざけるか

 

『借り物の理想』『上っ面の関係』

そんなものに「本物」が宿るというのか。

 

 

生きるのに不器用な人間ほど、「偽物」を許容できない。

少なくとも、自分に対しては「偽物」を認める事が出来ない。

だからこそ、不器用だと言われるのだろうな。

 

そんな不器用な人間が今一度「偽物」と向き合う。

 

◆嘘から始まる関係性

今でもそういう物語は少なくない。

女装・男装に始まり、自分の立場・役割を偽装、勘違いなんてものまで幅広い。

最近のだと、「ニセコイ」が一番伝わりやすいのだろうか。

 

ニセコイ 11 (ジャンプコミックス)

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「偽物の恋」、「偽物から始まる恋」、「その恋は偽物」「偽物に隠れた本物の恋」みたいな。

そういえば、「ざわわん」も嘘から始まった物語だったな。

 

 

 

少し前のものだと「遊戯王」とかだろうか。

自分の中に居る「もう一人僕」の存在を明かすという行為。

それは、隠していた「真実」を明かすということであり、「嘘」に近いものがある。

遊☆戯☆王 (1) (ジャンプ・コミックス)

遊☆戯☆王 (1) (ジャンプ・コミックス)

 

 

しかし、

そう言った物語は「嘘」を踏み台にして「本物」に到達する。

 

遊戯は「もう一人の僕」を隠したまま親友でいることは無い。

プロデューサーは「スパイ」という事実を隠して関わり続ける事はない。

彼女は「本物の恋」を隠したまま偽物であり続ける事はない。

 

物語の登場人物は「嘘」を踏み台にして「本物」に到達する。

隠していた「真実」や話したくない「嘘」と向きあい、本物を手に入れる。

 

 

つまり、「偽物」は「本物」に近づける、ということだ。

やったね、答えがでたよ!

◆誰も本物なんて求めていない

結局のところ、「本物」なんて誰も求めていないんだ。

「本物であること」なんて誰も求めていないんだ。

 

「偽物のプロデューサー」であっても

「偽物の恋人」であっても

「偽物の関係」であっても

 

「嘘」であってもその時は「本物」だったから。

「本物である」という事実が無くても「幸福」だったのは間違いないから。

 

 

◆だからこそ、俺は本物が欲しい

人は「真実」を通過して「本物」に至る。

その前段階に「嘘」や「偽物」が差し込まれるのがよくある物語だ。

 

では、

「偽物のまま本物に至る物語」は存在しないのだろうか。

「偽物を許容せず、本物に至る物語」は存在しないのだろうか。

 

 

 

 

◆終わりに

「本物」に目が眩んで「偽物」を見る事が出来なかった私。

 「偽物」からも求める「本物」が生まれ出る事実と向きあったことで、

「本物である事実」を求める理由を喪失した。

今、この言葉が私の中で揺らいでいる。

 

「本物でなければ本物ではない」

 

これは「嘘」だったのだろうか。